山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

神田 → 東京
10. 西今川橋 架道橋

神田-東京間は、道の多い下町に通されたために架道橋が多い。 ようやく ほぼ中間地点にやってきた。

              全 景 (山手線の内側から)       2009.12.10
古い写真なので東北縦貫線の工事がまだ進んでいない状態である。 三脚がなかったので、電車の写真とは少しずれてしまった。

手前の中央線 2線を 部、京浜東北線・山手線の4線を 部、旧東北線を 部、新幹線を 部 とする。


A 部分 中央線2線分、開通 :1919年(大正8年)

              近 景 (山手線の内側から)        2011.7.27
 ↑千代田町橋高架橋                    西今川町橋高架橋↑
90年以上が経過している はずだが、右端の銘板は読みにくい。 珍しい事に、当初のプレートガーダ二本の 両方に銘板が付いていて、内側のは はっきりと 「年七正大」だとわかる。 開通は翌年の 1919年(大正8年)。

                 銘板

中央線竣工当時 の 西今川橋
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行

橋台のコーナー
震災や戦災の影響は少なくて、コーナーの御影石は ほぼオリジナルのまま。

           南側橋台 (西今川町橋高架橋)の様子     2011.8.25
      ↑二期工事            ↑ここが一期工事との境目
桁が塗られている色は違うが、一期工事と二期工事の時間差は 4年程度なので、造りは全く同じ。 東京方向を見ており、右の二本が中央線である。

ガード下には 必ず休憩を取る車が停車しているので、撮影が難しい。


B 部分 : 京浜東北線北行、山手線2線、京浜東北線南行 計4線
        開通 :1925年(大正14年)11月 山手線環状運転開始

開通当初は 山手線と京浜東北線は2線を共有していて、あとの2線は東北本線だった。 付近の架道橋工事は 遅い所でも1924年(大正13年)12月にはできていた。                  『東京市街高架線東京上野間建設概要』

           新幹線ガードの下(山手線の外側) から     2010.1.30
右側は千代田町橋高架橋↑

阪神淡路大震災後に取り付けられた、桁の脱落防止金物。
橋台上部の装飾ボーダーは 壁面より突出しているためか、火災などの被害を受けやすく、補修されている事が多い。 中に花崗岩が残っているのだから、初めから擬石仕上げだったという事はないだろう。 右下 橋台のコーナーはオリジナルのまま。


C 部分 : 現在 東北縦貫線の工事中
1956年(昭和31年)頃 : 電車線2線増線時に
1979年(昭和54年)〜84年の間 : 新幹線工事のために 桁を撤去
1991年(平成3年)6月 :      新幹線 東京駅乗り入れ
2008年(平成20年)5月 :      東北縦貫線の工事開始

山手線と京浜東北線を完全分離するために、すでに確保してあった外側の敷地に2線が増線する工事が、1949年(昭和24年)11月に開始され、1951年(昭和26年)12月には 千代田町橋高架橋までが完成したが、西今川橋架道橋が架けられたのは5年後の全線開通時のようだ。 

東北新幹線の東京駅乗り入れに際して、神田駅南側の旧東北本線は ここ西今川橋架道橋の桁までが撤去され、この先には高架橋が残っていた。

1989年(平成元年)の空中写真
印から東京駅側(右側)は 旧東北本線の高架橋が残っており、その外側(写真では下側)で新幹線の工事が始まっているいる。 神田駅周辺でも 架道橋の撤去が進んでいる。 

      巨大なPC桁の架かる東北縦貫線  2011.6.2

外濠からここまでの「高架橋新設部 東京方アプローチ部」約 350mは、既存部を取り壊した後に コンクリート高架橋を新設し、1,000分の33という急勾配で新幹線上部まで上っていく区間 (下図 黄色部分)である。

『東北縦貫線事業概要』/東日本旅客鉄道株式会社のPRパンフより
完成は 2013年度の予定なので、まだまだ先。 


D 部分 : 現在 新幹線 2線
1991年(平成3年)6月 : 新幹線 東京駅乗り入れ :

           B部 ガード下から 山手線の外側を見る      2011.9.3

                  山手線の外側から           2011.6.2
新幹線工事の時、ここでは 新たな用地を確保できた。


位 置 (終戦後の様子)
龍閑川               1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院
       神田駅                外濠                               東京駅

西今川橋 架道橋 データ

位 置: 千代田区鍛冶町一丁目 - 内神田三丁目
  東京駅より 970M 83
管理番号:  6 (東北線)
道路名:  −
線路の数: 計 8 本 (下記 A〜D は仮の呼び名)
A: 2線: 中央線
B: 4線: 京浜東北線2線、山手線2線
C: 旧東北本線、  東北縦貫線の工事中
D: 2線本: 東北上越新幹線
支 間: A部 B部とも : 14m 40
空 頭: 高さ制限 : 表示無し
竣工年: A: 1919年(大正8年) 中央線開通
B: 1925年(大正14年) 山手線開通
C: 1955年(昭和30年)頃増線
   1979年〜84年(昭和59年)の間に、
               新幹線工事で撤去
D: 1991年(平成3年) 新幹線東京乗入れ
備 考: 竣工時の名称は「西今川橋」
名前の由来:  開通時の町名による。 
外濠と岩井川を結ぶ「龍閑川」も江戸の運河のひとつで、たくさんの橋が架かっていた。 そのひとつ、現在の中央通りに架かる「今川橋」の東西に「今川町」の名が付けられた。 
龍閑川に沿った細長い地域である。

橋の名は、江戸時代 天和(てんな)の頃(1681〜1684)の
名主 「今川善右衛門(ぜんえもん)」に由来するといわれる。

1909年(明治42年)測量、1921年(大正10年)修正 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 販売

今川橋跡 ( 印) から 東西を見る

西方向 遠くに山手線

中央通りを挟んで 東方向
ビルの一角にある記念碑

今川橋は交差点名として残っているが、神田金物通りとの交差点であり、もとの橋があった場所よりも 100m北側である。

Top Menu へ 山手線が渡る橋・くぐる橋 高橋俊一 西今川町橋 高架橋 へ