山手線が渡る橋・くぐる橋 | − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − |
神田 → 東京 |
11. 西今川町橋 高架橋 |
旧龍閑川を挟んだ高架橋で、川や道路が斜めに走っているために橋の形が「菱形」となり、アーチが使えないために コンクリート「連続床形式」が採用された。 隣の「白旗橋」の橋台と一体のフレームとすることによって、コンクリート量の削減と堅固な構造とする狙いもあった。 |
市街線橋梁立面図 (部分) |
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『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行 |
山手線の内側から 以下のような仮称を付ける。 |
A部 B部 C部 D部 |
: 中央線 2線 : 山手線・京浜東北の4線 : 旧 東北本線 : 新幹線 |
: 1919年(大正8年)開通 : 1925年(大正14年)増線 : 1956年(昭和31年)増線 : 1991年(平成3年)開通 |
A 部分 : 中央線2線 1919年 3月1日開通。 |
山手線内側の様子 2011.6.2 |
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↑西今川橋架道橋 高架橋は3スパン |
開通当初から山手線の内側には路地しかなかった。 旧龍閑川の内側には川を渡る道路がなかったためである。 |
中央線開通時の様子 | |
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『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行 | |
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東京方向 | 神田方向 | |
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いつ、どの程度の被害があったのか、震災と戦災の二回の可能性もあり、オリジナルか補修後なのかは、判断が難しい。 |
B 部分 計 4 線、 :1925年(大正14年)11月開通 | |
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B部を 山手線の外側から見る 2011.6.2 | |
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C 部分 計 2 線、 :1956年(昭和31年)開通 |
山手線と京浜東北線を完全分離するために、すでに確保してあった外側の敷地に2線が増線する工事が、1949年(昭和24年)11月に開始され、呉服橋架道橋から
もうひとつ神田駅寄りの千代田町橋高架橋までが完成した後は、東京駅の引上げ線として使われた。 1956年(昭和31年)に 田町・田端間の全線が増線され、「東京縦貫電車複々線」が一度は完成したのだが、東京駅ホームの数が少なかったために、東京発の東北本線は ほとんどなく、その後も もっぱら東海道線の折り返し、引きあげ線として使われた。 |
計 8 線 の状態 |
![]() 1984年(昭和59年)の空中写真 |
↓ |
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新幹線工事中の状態 |
![]() ←神田駅 留置き中の東海道線車両↑ 外濠 |
1989年(平成元年)の空中写真 ともに 国土画像情報/国土交通省 より |
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巨大なPC桁の架かる東北縦貫線 2011.6.2 |
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今川橋架道橋から 東京駅方向を見る。 |
D 部分 新幹線 : 1990年(平成2年)頃 |
山手線の外側 東京駅方向を見る 2011.9.3 |
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区画としては3軒分だけ。 長かった「神田ふれあい通り」ももうすぐ終わりで、これが最後の(最初の?)飲食店である。 |
位 置 (終戦後の様子) |
龍閑川 1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院 |
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神田駅 外濠 東京駅 |
■ 西今川町橋高架橋 データ | ||||
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位 置: | 千代田区鍛冶町一丁目 | ||
管理番号: | − | |||
道路名: | − | |||
線路の数: | 計 8 線 (下記 A〜D は仮の呼び名) | |||
A: 2線: 中央線 B: 4線: 山手線、京浜東北線 C: 2線: 旧東北本線、 現在東北縦貫線の工事中 D: 2線: 新幹線 | ||||
橋 長: | 山手線の内側で 約 16 m | |||
スパンの数: | 4 | |||
竣工年: | A: 1919年(大正8年)1月頃 B: 1925年(大正14年) 計6線に C: 1956年(昭和31年)2線増線 D: 1990年(平成2年)頃 新幹線高架橋 | |||
備 考: | ||||
名前の由来: | 旧町名に由来する。 | |||
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1909年(明治42年)測量、1921年(大正10年)修正 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 販売 |
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