| 山手線が渡る橋・くぐる橋 | − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − |
| 神田 → 東京 |
| 12. 白旗橋 架道橋 |
| 構造は通常のガードと同じ「プレート・ガーダ」であるが、元は道灌川に架かった 「白旗橋」、 橋梁 であった。 旧道灌川が 千代田区神田地域と中央区日本橋地域との区界となっている。 |
| 全 景 (山手線の内側から) 2011.8.25 |
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| 昔の川幅は約15mと広く、架道橋の支間も15.61mあるのだが、川が埋め立て・暗渠化されて、現在は実質的な道幅 3.6 mの路地「今川小路」となっている。 |
| 市街線橋梁 断面図 (部分) |
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| 中央線開通時の様子 | |||
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白旗橋 → 白旗 稲荷 |
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| 断面図共に『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行 | |||
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| この中央線 2線を A部、京浜東北線・山手線の4線を B部、旧東北線を C部、新幹線を D部 とする。 |
| A 部分 中央線2線分、開通 :1919年(大正8年) |
| 遠 景 (山手線の内側から) 2011.7.27 |
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| 昔の運河の上に立って撮影している。 昔は幅が狭かった手前の道には「龍閑橋」が架かっていた。 左側の建物 (地方銀行会館)では、元の河川敷とそれに沿った敷地に跨って現在の建物が建てられているが、右側の細長いビルは、ほぼ
埋められた運河の範囲である。 道幅が狭いために 肝心の「白旗橋 架道橋」はほとんど見えない。 |
| 暗渠の上を 橋に近付く | |
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| 原則として車は通れない。 木造の家も残っている。 |
| 近 景 (山手線の内側から) 2011.1.30 |
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| ガード下に小さな飲み屋がずらりと並んでいる。 都心、千代田区とは思えない風景。 これが「今川小路」で 中はとても薄暗い。 日経新聞 「私の履歴書 / 浅丘ルリ子」 によると、子供の頃 このガード下に住んでいたそうだ。 |
| B 部分 : 京浜東北線北行、山手線2線、京浜東北線南行 計4線 開通 :1925年(大正14年)11月 山手線環状運転開始 |
| 山手線の内側を振り返る | 内部の様子(東京方向を見る) |
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| ↑フラッシュ使用。 実際は昼なお暗く、こんな感じ。 | |
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| 2011.6.2 改 築 2011.8.25 | |
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| 東北縦貫線の工事に伴って、C部だけでなく B部の一部も取り壊された。 いよいよ退去かと思ったが、すぐに新しい建物が建てられている。 ガードの下だけ広げても意味がないし、賃借権もあるためだろう。 高さが限られているので、極めて小さな階高で2階建てとしている。 |
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| C 部分 : 現在 東北縦貫線の工事中 |
| 1956年(昭和31年)11月:山手線・京浜東北線分離時 に東北本線用として2線。 2008年(平成20年)5月 : 東北縦貫線の工事開始 |
| 山手線と京浜東北線を完全分離するために、すでに確保してあった外側の敷地に2線が増線する工事が、1949年(昭和24年)11月に開始され、1951年(昭和26年)12月には ここよりも北側の 千代田町橋高架橋までが完成したが、白旗橋架道橋の桁が架けられたのは5年後の全線開通時のようだ。 |
| 巨大な柱が立った東北縦貫線 2011.6.21 |
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| 昔々、写真中央奥に 白旗稲荷があった。 |
| D 部分 : 現在 新幹線 2線 |
| 1991年(平成3年)6月 : 新幹線 東京駅乗り入れ : |
| C部から 山手線の外側を見る 2011.6.2 |
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| 山手線の外側から 2011.9.25 |
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| 新幹線の柱も 昔の川の中に立っている。 ↑ |
| 位 置 (終戦後の様子) |
| 龍閑川 1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院 |
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| 神田駅 外濠 東京駅 |
| ■ 白旗橋 架道橋 データ | |||
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位 置: | 千代田区鍛冶町一丁目 - 内神田三丁目 東京駅より 937M 240 | |
| 管理番号: | 5 (東北線) | ||
| 道路名: | − | ||
| 線路の数: | 計 8 本 (下記 A〜D は仮の呼び名) | ||
| A: 2線: 中央線 B: 4線: 京浜東北線2線、山手線2線 C: 旧東北本線、 東北縦貫線の工事中 D: 2線本: 東北上越新幹線 | |||
| 支 間: | A部 : 15m 61 | ||
| 空 頭: | 高さ制限 : 表示無し | ||
| 竣工年: | A: 1919年(大正8年) 中央線開通 B: 1925年(大正14年) 山手線開通 C: 1955年(昭和30年)頃増線 2009年(平成21年)?、 東北縦貫線工事で撤去 D: 1991年(平成3年) 新幹線東京乗入れ | ||
| 備 考: | 竣工時の名称は「白旗橋」 | ||
| 名前の由来: | 元は現在の線路敷地内にあり、山手線の 開通で移転した神社名による。 |
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| 1909年(明治42年)測量、1921年(大正10年)修正 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 販売 | |||
| 周辺の情景 |
| 白旗稲荷神社 |
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| 現在の地は、架道橋からほど近い所、常盤小学校の裏である。 新幹線建設時に二度目の移転をした可能性がある。 敷地内にはビルも建っているのだが、いつも神社の扉は閉まっており、来歴は不明。 |

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| 1859年(安政6年)の地図には元の位置に「白ハタ イナリ」として記載されている。 稲荷神はその名の通り「穀物・食物」の神であり、門扉に取り付けられた紋の右側は「兜と稲」である。 左側は「笹竜胆」であるから 「白旗」 「兜」と合わせて、源氏に関係する稲荷社なのだろう。 |
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