山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

神田 → 東京
13. 第2本銀町橋 高架橋

区界の旧龍閑川を挟んだ高架橋で、川や道路が斜めに走っているために橋の形が「菱形」となり、アーチが使えないので 西今川町橋と同様に、コンクリート「連続床形式」が採用された。   ようやく 中央区へ。

市街線橋梁断面図(部分) および 詳細図
神田
東京
  本銀橋架道橋                 上図とは向きが違う                白旗橋架道橋

山手線の外側から神田駅方向を見る
図面とも 『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行
「スラブ型式」の高架橋が 白旗橋(印)を挟んでいるのがわかる。

山手線の内側から 以下のような仮称を付ける。 
  
  
  
  
 : 中央線 2線
 : 山手線・京浜東北の4線
 : 旧 東北本線
 : 新幹線
 : 1919年(大正8年)開通
 : 1925年(大正14年)増線
 : 1956年(昭和31年)増線
 : 1991年(平成3年)開通


A 部分 : 中央線2線 1919年 3月1日開通。

                 山手線内側の様子           2011.7.21
                                      本銀橋架道橋
開通当初から山手線の内側には路地しかなかった。 旧龍閑川の内側には川を渡る道路がなかったためである。 斜めの高架下は4スパンとも使われている。

中央線開通時の様子
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行
神田方向を見ている。 電車が走っている所 が 第2本銀町橋高架橋で、左側には二階建て民家が迫っている。 右側 山手線予定地はすでに立ち退き済みで、この後建設が開始される。 このため高架橋の左側(山手線の内側)には手摺りがあるが、右側は何もない。

山手線内側の様子
いつ、どの程度の被害があったのか、震災と戦災の二回の可能性もある。
ここは補修されているようだ。


B 部分 計 4 線、 :1925年(大正14年)11月開通

現在の山手線と京浜東北線の4線で、構造はA部と同じくコンクリート・連続床式で密着しており、開口も同じ位置のはずである。
開通当初は 山手線と京浜東北線は2線を共有、あとの2線は東北本線であった。
ここでは東北縦貫線の工事のために視界不良となっていて、白旗橋側からは中が見えない。

                   B部 山手線の外側を 本銀橋架道橋から見る            2011.6.21
ここでは山手線の外側も タイル張り仕上げであるが、大正時代のオリジナルか補修後かはわからない。
コンクリートの躯体に、厚みのあるレンガタイルを張り付けているのがよくわかる。


C 部分 計 2 線、 :1951年(昭和26年)竣工、現在は工事中

山手線と京浜東北線を完全分離するために、すでに確保してあった外側の敷地に2線が増線する工事が、1949年(昭和24年)11月に開始され、呉服橋架道橋から 神田駅寄りの千代田町橋高架橋までが完成した後は、東京駅の引上げ線として使われた。 
1956年(昭和31年)に 田町・田端間の全線が増線され、「東京縦貫電車複々線」が一度は完成したのだが、東京駅ホームの数が少なかったために、東京発の東北本線は ほとんどなく、その後も もっぱら東海道線の折り返し、引きあげ線として使われた。

今回の東北縦貫線工事にあたって、外濠以北の高架橋が新たに造り直されている。 桁を架けるための「架設機」には高いタワーがあり、首都高速都心環状線をくぐれないので、この付近の仮設構台の上で組み立てられた。 そのため 「本銀橋架道橋」と「龍閑橋架道橋」の架設が後回しとなっている。

2010.1.30         仮設構造物の東北縦貫線工事現場         2011.6.21





D 部分 新幹線 : 1990年(平成2年)頃

              山手線の外側 東京駅方向を見る      2011.9.3
この高架部分も短く、駅から離れてさすがに飲食店は無くなった。



位 置 (終戦後の様子)
龍閑川               1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院
       神田駅                外濠                               東京駅

第2本銀町橋高架橋 データ


位 置: 中央区日本橋本石町四丁目
管理番号:
道路名:
線路の数: 計 8 線 (下記 A〜D は仮の呼び名)
A: 2線: 中央線
B: 4線: 山手線、京浜東北線
C: 2線: 旧東北本線、
        現在東北縦貫線の工事中
D: 2線: 新幹線
橋 長: 山手線の内側で 約 25 m
スパンの数:
竣工年: A: 1919年(大正8年)1月頃
B: 1925年(大正14年) 計6線に
C: 1956年(昭和31年)2線増線
D: 1990年(平成2年)頃 新幹線高架橋
備 考: 旧名称は 第2本銀町橋
名前の由来:  旧町名に由来する。
白旗橋の架かる龍閑川の南側に「銀町」(しろがねちょう)があったが、人口の増加に伴って江戸時代のいつの頃か、現在の神田司町(つかさまち)付近に「新銀町」が作られて、こちらは「本銀町」となった。
勝手な想像だが銀細工の職人の町、それを売る店があった町ではないだろうか。

「銀座」の方は銀貨鋳造所のことで、1612年(慶長17年)に、駿府(静岡)から現在の銀座二丁目あたりに銀座が移され、通称が地名となった。 (中央区の説明による)

1909年(明治42年)測量、1921年(大正10年)修正 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 販売
この地図では本銀町の境界がはっきりしないが、龍閑川のすぐ南からである。

Top Menu へ 山手線が渡る橋・くぐる橋 高橋俊一 本銀橋 架道橋 へ