山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

神田 → 東京
14. 本銀橋 架道橋

ほかの「橋桁・プレート・ガーダ」は「単線」型式が多いが、本銀橋は2線分をひとつとした「複線」で、主桁の数は3つである。 近くの西今川橋や千代田橋と、径間は変わらないのに構造を違えたのには、何か理由があるのだろう。

               全 景 (山手線の内側から)       2011.9.3
車がまったく止まっていないのは 珍しい・・・。 左側にはパーキングメーターがある。 付近の道路は交通量が少ないために、両側に駐車してもあまり迷惑にはならない。 薄暗いために昼寝をする、雨がしのげるために荷物の整理・積み替え、外でタバコを一服、などなど。

市街線橋梁 断面図 (部分)

中央線開通時 1919年(大正8年)頃 の様子
山手線の外側から神田駅方向を見ている。
 






白旗橋


白旗
稲荷
断面図共に『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行
同じ荷重を3本の桁で支えると、4本の時よりも桁の高さが大きくなる。特に中央の桁は両側の荷重を受け持つので、他の2本より大きい。
道路の桁下寸法(空頭)を確保するために、桁を高い位置に据えている。(下路橋、スルー・プレートガーダ)
山手線の内側から 神田方向を見る(前掲写真とは逆向き)

この中央線 2線を 部、京浜東北線・山手線の4線を 部、旧東北線を 部、新幹線を 部 とする。


A 部分 中央線2線分、開通 :1919年(大正8年)

              近 景 (山手線の内側から)       2011.6.21
これが通常の風景、昼の間はいつも車が止まっている。 山手線の内側から外側へ向けての一方通行である。

東京側の橋台
多少補修はされているが、火災などの被害は少なかったようだ。 落書きの方がひどい。
              近 景 (山手線の内側から)        2011.6.21
初めに建設された中央線部分。 2線分がひとつとなっている桁。 車の陰だが、二期工事の左側は橋台も後から造られた。


B 部分 : 京浜東北線北行、山手線2線、京浜東北線南行 計4線
        開通 :1925年(大正14年)11月 山手線環状運転開始

東京方向
桁の構造は 最初の中央線と同じ。

神田方向
この橋台は表面を削った後に 透明塗料が塗られている。 落書きを消すために行われたものだろう。

山手線の外側から 神田側の橋台


C 部分 : 現在 東北縦貫線の工事中
1951年(昭和26年)12月 : 東京駅引上げ線工事の一環として2線
2008年(平成20年)5月 :      東北縦貫線の工事開始
山手線と京浜東北線を完全分離するために、すでに確保してあった外側の敷地に2線が増線する工事が、1949年(昭和24年)11月に開始され、呉服橋架道橋から ここよりも神田駅寄りの千代田町橋高架橋までが完成した後は、東京駅の引上げ線として使われた。 

1956年(昭和31年)に 田町・田端間の全線が増線され、「東京縦貫電車複々線」が一度は完成したのだが、東京駅ホームの数が少なかったために、東京発の東北本線は ほとんどなく、その後も もっぱら東海道線の折り返し、引きあげ線として使われた。

             東北縦貫線の工事出入り口       2011.6.21
C部というよりは、山手線を外側から見た写真である。


D 部分 : 現在 新幹線 2線
1991年(平成3年)6月 : 新幹線 東京駅乗り入れ :

           C部から 山手線の外側 神田方向を見る     2011.6.21

                  山手線の外側から           2011.9.25


位 置 (終戦後の様子)
龍閑川               1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院
       神田駅                外濠                               東京駅

本銀橋 架道橋 データ


位 置: 中央区日本橋本石四丁目
  東京駅より 896M 40
管理番号:  4 (東北線)
道路名:  −
線路の数: 計 8 本 (下記 A〜D は仮の呼び名)
A: 2線: 中央線
B: 4線: 京浜東北線2線、山手線2線
C: 旧東北本線、  東北縦貫線の工事中
D: 2線本: 東北上越新幹線
支 間: A部 : 14m 40
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』の寸法
空 頭: 高さ制限 : 表示無し
竣工年: A: 1919年(大正8年) 中央線開通
B: 1925年(大正14年) 山手線開通
C: 1955年(昭和30年)頃増線
   2009年(平成21年)?、
           東北縦貫線工事で撤去
D: 1991年(平成3年) 新幹線東京乗入れ
備 考: 竣工時の名称は「本銀橋」
名前の由来:  旧町名に由来する。
白旗橋の架かる龍閑川の南側に「銀町」(しろがねちょう)があったが、人口の増加に伴って江戸時代のいつの頃か、現在の神田司町(つかさまち)付近に「新銀町」が作られて、こちらは「本銀町」となった。
勝手な想像だが銀細工の職人の町、それを売る店があった町ではないだろうか。

「銀座」の方は銀貨鋳造所のことで、1612年(慶長17年)に、駿府(静岡)から現在の銀座二丁目あたりに銀座が移され、通称が地名となった。 (中央区の説明による)

1909年(明治42年)測量、1921年(大正10年)修正 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 販売
この地図では本銀町の境界がはっきりしないが、龍閑川のすぐ南からである。

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