山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

神田 → 東京
15. 第 1本銀町橋 高架橋

道路の関係で 第一本銀町橋の形状は台形となっているが、その構造にはコンクリート「アーチ形式」が採用された。

終戦後 1947年7月 の写真
国土地理院/撮影は米軍
6線のこの形で軌道の工事まで完了したのは 1925年(大正14年)3月頃で、開通は同年11月、山手線の環状運転が開始した時であった。 その時から22年後の写真である。

市街線橋梁断面図 (部分、合成)
神田
東京
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行
山手線の内側、中央線部分では アーチの数が3つ。

山手線の内側から 以下のような仮称を付ける。 
  
  
  
  
 : 中央線 2線
 : 山手線・京浜東北の4線
 : 旧 東北本線
 : 新幹線
 : 1919年(大正8年)開通
 : 1925年(大正14年)増線
 : 1956年(昭和31年)増線
 : 1991年(平成3年)開通


A 部分 : 中央線2線 1919年 3月1日開通。

                          山手線内側の様子                    2011.7.27
開通当初から山手線の内側には路地があった。 駅から離れた場所なので、
3スパンとも倉庫や車庫として使われている。

                   龍閑橋架道橋の橋台部分            2011.7.27
神田駅から離れるほど 火災の被害を受けていない。 巾木(ベース)の部分まで花崗岩のオリジナルが残っている。 コーナー石には風化した日本愛国党のポスターが・・・・。


中央線開通時の様子
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行
山手線の外側から神田方向を見ている。 第一本銀町橋は写真の左端に、北側の一部分しか写っていない。 の小さなアーチはメインのものではなく、台形となっている架道橋が広がった部分だろう。 
少なくとも、ひとつ北側の「第2本銀町橋高架橋」まではレンガタイルで化粧されている。

左は倉庫、右は駐車場

倉庫では雨漏り対策が施されている。

内部はコンクリート打ち放し、奥は次のB部分である。


B 部分 計 4 線、 :1925年(大正14年)11月開通
現在の山手線と京浜東北線の4線で、構造はA部と同じくコンクリート・アーチで密着しており、開口も同じ位置である。
開通当初は山手線と京浜東北線で2線を共有、あとの2線は東北本線であった。

B部 アーチの中
A Bの継ぎ目やコンクリートのひび割れから、どうしても雨水がもれる。

                   山手線の外側            2011.2.15
龍閑橋ガードから 神田駅方向を見ている。 ここにはレンガタイル張りの仕上げがなされており、オリジナルのようだ。 東京駅に近いために、内側だけでなく 外側も化粧したのだろう。


C 部分 計 2 線、 :1951年(昭和26年)12月 竣工

山手線と京浜東北線を完全分離するために、すでに確保してあった外側の敷地に2線が増線する工事が、1949年(昭和24年)11月に開始され、呉服橋架道橋から もうひとつ神田駅寄りの千代田町橋高架橋までが完成した後は、東京駅の引上げ線として使われた。 
1956年(昭和31年)に 田町・田端間の全線が増線され、「東京縦貫電車複々線」が一度は完成したのだが、東京駅ホームの数が少なかったために、東京発の東北本線は ほとんどなく、その後も もっぱら東海道線の折り返し、引きあげ線として使われた。

今回の東北縦貫線工事にあたって、外濠以北の高架橋が新たに造り直されている。 桁を架けるための「架設機」には高いタワーがあり、首都高速都心環状線をくぐれないので、この付近の仮設構台の上で組み立てられた。 そのため 「本銀橋架道橋」と「龍閑橋架道橋」の架設が後回しとなっている。

                東北縦貫線工事現場          2011.7.27
龍閑橋ガードから 神田駅方向を見ている。


D 部分 新幹線 : 1990年(平成2年)頃

              山手線の外側 東京駅方向を見る      2011.9.3
本銀橋架道橋↑



位 置 (終戦後の様子)
龍閑川               1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院
       神田駅                外濠                               東京駅

第1本銀町橋高架橋 データ

位 置: 中央区日本橋本石町四丁目
管理番号:
道路名:
線路の数: 計 8 線 (下記 A〜D は仮の呼び名)
A: 2線: 中央線
B: 4線: 山手線、京浜東北線
C: 2線: 旧東北本線、
        現在東北縦貫線の工事中
D: 2線: 新幹線
橋 長: 山手線の内側で 約 25 m
アーチの数: 山手線の内側で 3つ
竣工年: A: 1919年(大正8年)1月頃
B: 1925年(大正14年) 計6線に
C: 1956年(昭和31年)2線増線
D: 1990年(平成2年)頃 新幹線高架橋
備 考: 旧名称は 第2本銀町橋
名前の由来:  旧町名に由来する。
白旗橋の架かる龍閑川の南側に「銀町」(しろがねちょう)があったが、人口の増加に伴って江戸時代のいつの頃か、現在の神田司町(つかさまち)付近に「新銀町」が作られて、こちらは「本銀町」となった。
勝手な想像だが銀細工の職人の町、それを売る店があった町ではないだろうか。

「銀座」の方は銀貨鋳造所のことで、1612年(慶長17年)に、駿府(静岡)から現在の銀座二丁目あたりに銀座が移され、通称が地名となった。 (中央区の説明による)

1909年(明治42年)測量、1921年(大正10年)修正 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 販売
この地図では本銀町の境界がはっきりしないが、龍閑川のすぐ南からである。

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