山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋
有楽町 → 新橋

7. 第1有楽橋 架道橋

全 景 (山手線の内側から)         2013.3.21

:第4有楽町橋高架橋        :第3有楽町橋高架橋        :第2有楽町橋高架橋
                                   第1 有楽橋 架道橋 ll

ナンバリングとは逆に辿ってきた「有楽町」関連の橋は、ようやく第一ガードに到達して、次の第一高架橋との残り二つを残すのみ。 駅との縁が切れて 構成がシンプルになった。

架橋後に道幅が広げられたため、A部はそっくり架け替えられている。

山手線の内側から順に 以下のような仮称を付ける。
A1


TX
 : 山手線、京浜東北線
        計 4 線
 : 東海道本線 2線
 : 新幹線 2線
 : 1910年(明治43年)6月25日開通
   1956年(昭和31年) 架け替え
 : 戦前 1942年(昭和17年)7月までに増線
 : 1963年(昭和38年)頃工事
       1964年(昭和39年)開通


A 部分 1910年(明治43年)6月25日に開通
1956年(昭和31年)6月 架け替え基礎工事 竣工
  同年 11月 山手線と京浜東北線 分離

全 景 (山手線の内側から ・再掲)        2013.3.21
晴海通りを横断する架道橋だが、当初はこの半分ほどの幅しかなく、せっかく広げられた通りの「ボトルネック」になっていた。
    1910年 : 18.18 m (60尺) およそ ▲ ▲
    1956年 : 33.17 m  初代の 1.82 倍

広げられたのは 昭和30年頃なので、終戦後の空中写真には架橋当時の桁が写っている。
1948年(昭和23年)3月29日朝撮影の空中写真
写真サイズ
400 × 300
次も同様 
部分拡大

←皇居方向
晴海方向→
  ↓新橋方向                    道の中央は 都電   
写真左側の2線では、ちょうど 架道橋上で 山手線または京浜東北線電車がすれ違っているため、2線分の桁は写っていない。 この時点では使われていなかった 第3線と4線の桁だけが見えている。 (▲ ▲間) 

晴海側の長い桁、戦前に架けられた東海道線の2線(▲ ▲間)に比べて、極めて短いことが判る。 震災復興計画で、現 晴海通りとして広げられたの大通りの半分ほどを、新橋側のレンガアーチが塞いでいたのだ。

ここはレンガアーチだった

<−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−>
山手線の内側から。 
橋台 約3m と レンガアーチ 1スパン分<−−−>(11m)、計 約 14mが拡張された。 右側に続くのが第1有楽町橋高架橋。

これまでにないデザインの丸柱に 基礎工事の銘板が付いている。
着手 昭和30年10月、竣工 昭和31年(1956年)6月。 山手線と京浜東北線が完全分離されたのが、同年11月である。

新橋方向を見る           2013.3.21

A 部 北側橋脚 補強の様子        2010.8.12
有楽町方向を見ている。 
架道橋のスパンが長くなると 桁の高さが大きくなる。 車が通る桁下は小さくできないため、桁の上部を線路の上に出して 強度を確保している。
新幹線から
有楽町駅第一ホーム南端から       2011.2.5
わずかにカーブしている区間なので、桁の長さが長くなれば 幅も広げる必要がある。 初代は2主桁の単線が4本架かっていたが、新しい桁は 少しでも幅を有効に使うために、複々線が一体となった5主桁とした。

それでも、以前の桁よりも総幅が広くなったためか、橋台の一部を削ってコンクリートの構造物を新設し、両端を跳ね出し状態としている。

架け方は、恐らく、現場横で組みあげて 順次横にスライドさせたものと思われる。 架け替える時点では2線が空いていたので、それを仮設線として使えただろうから、難しくはない。
橋台端部は方持ちに          2013.8.1



T 部 2 線分 : 1942年(昭和17年)7月 竣工、現 東海道本線

戦前に2線を増線したのは、東海道線・横須賀線の線路容量が飽和に達した上に、品川に旅客操車場が新設され、それに伴う回送列車が増加したためである。 しかし戦争が激しくなったため、高架橋が増設されたのは東京駅の手前、第4有楽町橋の中間までであった。            (第4有楽町橋高架橋 B部 参照)

すぐ隣に東海道新幹線の桁があるため、全体像は写せない。
架道橋の下から

新橋方向

有楽町方向

部の終戦時の状態
1948年(昭和23年)3月の空中写真








有楽町駅

外濠
写真サイズ: 400 × 269 / 国土地理院 撮影は米軍
山手線が6両編成だったことがわかる。 

第一ホームから            2011.2.5
新橋方向を見ている。 ↑T部             電車は山手線 外回り



TX 部分 : 東海道新幹線 2線 : 1964年(昭和39年)10月

東京オリンピック開催に合わせて10月1日に開通。 このため 工事や桁の製作はそれよりも早く、銘板は1963年(昭和38年)である。

山手線の外側から           2010.8.12
新幹線部分は連続した高架橋となっており、名称は単に「有楽橋架道橋」となっている。 晴海通りは その4番 と 5番で、支間は 9.01m と 27.25 m。

桁の詳細



                位 置 (終戦後 6線の状態)
1948年(昭和23年)3月の空中写真/国土地理院
  有楽町駅                              新橋駅
写真サイズ 400 × 135 ドット

第1有楽橋 架道橋 データ
位 置: 千代田区丸の内二丁目 東京駅より 977M 62
            新幹線部分 TX は 951M33
管理番号: 5 (東海道線)
道路名: 晴海通り
線路の数: 8線 (下記 A〜TX は仮の呼び名)
山手線の
  内側から
A: 4線: 京浜東北線 ・山手線
T: 2線: 東海道線
TX: 2線:東海道新幹線
総径間: A: 34.0m (塗装履歴 26.60+7.4 mによる)
TX : 36.26 m( 同上 27.25 + 9.01m )
空 頭: 高さ制限 : なし
竣工年: A: 1910年(明治43年)6月 複線開通
   1914年(大正3年)12月 複々線開通
   1956年(昭和31年)11月 3複線開通
T: 1942年(昭和17年)7月までに増線
TX: 1964年(昭和39年)10月1日 開通
名前の由来:  付近の町名に由来する。
この架道橋に限らず、付近一帯の高架橋も含めて、「有楽町」の地名にちなんでいる。
詳しくは「有楽町の由来」の項、および「有楽橋」を参照の事。

タイトルの地図について : 地図サイズ 299×94
明治42年(1909年)測図、 大正5年(1916年)第一回修正測図 1万分の1地図
「日本橋」に加筆            大日本帝国陸地測量部/国土地理院 発行

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