山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋
有楽町 → 新橋

10. 内山下町橋 高架橋
「日比谷 OKUROJI」

銀座に近く、北端部はみゆき通りや帝国ホテルに接しているにもかかわらず、高架下の利用は倉庫や事務所ばかりで、飲食店は少なかった。
薄暗かった世界が真っ白に大変身して、2020年9月に「日比谷OKUROJI」がオープンしたが、時はコロナの緊急事態宣言が始まった年。さぞかし苦戦を強いられたことだろう。
高架橋のかつての様子や 仮称 A、T、TS 各部の歴史などについては、もうひとつの 10. 内山下町橋高架橋 を参照のこと。

高架橋の位置:終戦後 1948年、6線の状態
印の間が内山下町橋高架橋。外濠はまだ埋められていない。


OKUROJI 店舗平面図
↑山下橋架道橋(みゆき通り)          ▲は出入り口 幸橋架道橋↑

内山下町橋高架橋 北端    2023.11.11.
山下橋架道橋の下。が「OKUROJI」への入口で、平面図では左端。狭くてまさに「路地」の名のとおりなのだが、注意していないと見過ごしてしまう。
スロープで下りていく



スロープの左側は新幹線の下

右側は 平行する道路側から入る店舗。
広い場所までには かなり距離がある。
柱を囲む耐震補強の鉄板は 装飾付き。
レンガ敷きの広場  2023.11.30.
かつての通路  2013.3.29.

 ここが中央通路となった↑
まさに見違えるような変身。
上部を東海道線が走る中央通路(仮称 T部)は、新橋に向けて遙か彼方まで続く。橋脚が林立するために広々としたスペースはないが、天井高さは十分にある。照明はほとんどが間接照明。
中央通路の右側
左:T部、右は 110年以上前にレンガ積みで建設され、現在は山手線・京浜東北線が走る 仮称A部、4線分。
T部とA部の境目に幅広の雨樋を取り付け、オブジェのような縦樋は、A部経由で排水されている。
来た道、有楽町駅方向を振り返る
左:T部、右:TS(東海道新幹線)部。こちらも、両者の継ぎ目や道床の雨水排水経路の処理に苦労している。左側の樋は白く塗られているので、あまり目立たない。
A部の外側(山手線の内側) 排水管
道路側も再整備されており、傷んでいた黒い扉は作り直された。室内からの雨水が接続されている(と思われる) 縦樋。Y字型の部分は掃除口。
山手線内側の道路
この道から OKUROJIへの出入口が5カ所あるが、残念ながら、朝夕の通勤時間以外はほとんど人通りがない。ただし、災害時の非常口として必須のもの。店舗の床レベルが低いため、店の入口の多くは路地側からとなっている。
コンクリートの部分を見ると、アーチが2回にわたって補強されたことがわかる。
出入り口のひとつ
ワンスパンがゆったりと使われ、ベンチが置かれているところもある。繰り返しになるが、110年以上前、明治の末に建造されたものである。
別の出入り口を中から見たところ。アーチの右下にレンガが表しになっている部分がある。
橋台の足元のレンガ          2023.11.11.


建設当初の写真を見た結果、橋台本体ではなく、堀の擁壁部分と考えられ、ここから手前(右側)が 外濠だったことになる。
(次の写真の部分)。

赤いレンガやその上の石は、今回の工事で斫(はつ)られたようだ。この部分は場所によって残っている長さ(横幅)が異なる。

『東京市街高架鐡道建築概要』

大正3年12月18日発行/鐡道院東京改良事務所 に加筆
新幹線部分
高架下は以前から二層になっていた。恐らくそのまま事務所スペースとして使われているのだろう。一般は立ち入り禁止。
アーチ下のレストラン
A部の外壁は塗装をせずにそのまま残し、ほかの白い部分と対比させている。

↑山下橋架道橋(みゆき通り)          ▲は出入り口 幸橋架道橋↑
新橋側(南側)の入口
内幸橋架道橋下。上図の位置。
OKUROJIのロゴマークは レンガアーチをデザインしたもの。ここまで来ると新橋駅の方がずっと近い。
搬入口   2023.11.11.
かつての内幸橋架道橋下 2013.3.29.
昔はここ↑がパーキングの入口で、高さ制限 2m だった。



位 置
1948(昭和23)年3月の空中写真/国土地理院
有楽町駅                   新橋駅

OKURIJI データ
諸データは 内山下町橋高架橋を参照のこと。

タイトルの地図について:地図サイズ 299×94
明治42(1909)年測図、大正5(1916)年 第一回修正測図 1万分の1地図「日本橋」に加筆
       / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 発行

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