山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋
有楽町 → 新 橋

13. 幸橋 架道橋

遠 景 (山手線の内側から)        2014.4.25
ようやく 港区へ。 ここはかつては 御濠端。 左に見えるアーチの下が外濠で、その手前に「幸橋」が架かっていた。

山手線の内側から順に 以下のような仮称を付ける。 写真は南方向を見ているので、右が山手線の内側となる。
が架道橋、は旧「幸橋」のおよその位置



TX
 : 山手線、京浜東北線
        計 4 線
 : 東海道本線 2線
 : 新幹線 2線
 : 1910年(明治43年)6月25日開通
   1956年(昭和31年) 架け替え
 : 戦前 1942年(昭和17年)7月までに増線
 : 1964年(昭和39年)開通



A 部分 1910年(明治43年)6月25日に2線開通
1914年(大正3年)12月 東京駅開業 4線開通
1956年(昭和31年) 両側の2線、架け替え工事
  同年 11月 山手線と京浜東北線 分離

近 景 (山手線の内側から)      2015.1.5
新橋方向を見ている。 4線のうち 両側(京浜東北線)の2線は架け替えられているが、その理由は不明。 橋台はそのままである。

道路に橋脚を二本立てた3径間だが、ほかの架道橋と違って中央スパンが狭い。 これは架橋当時の道路の状態に関係があると考えている。 
参考 : 一般的な架道橋のスパン割り、山下橋架道橋
まずはその説明から。 記述は、内幸橋架道橋の項の「幸橋」の記述と重複する。


山手線は幸橋のすぐ横に通された。
「幸」の字義として「みゆき、行幸 すなわち 天子のおでまし」があるが、この橋の名称が「さいわいはし」 なのか 「みゆきはし」 なのかは未確認。
1871年(明治4年) 幸橋御門(御幸橋御門)
Wikipedia より (元版は 『鹿鳴館秘蔵写真帖』/平凡社)
取り壊される直前の明治初年の姿。 堀の外側から北を見て撮ったもの。
橋(次の地図の)の長さは短く、低い欄干は石造りのようだ。

平面形状は、1883年(明治16年)測量の 5,000分の1地図でわかる。
1883年(明治16年)測量 の地図



建物
・・・・・ : 線路のおよその位置、   : 幸橋 架道橋 の位置

門や櫓は取り払われたが、当初は橋や石垣がそのままだったことがわかる。 線路は外濠をかすめて通されたので、橋のすぐ脇を通った。 

江戸期には幸町はなかったが、橋の前の広場だった所に家が建ち、地名が「新幸町」、濠の内側が「内幸町」となった。 注目は土橋が架かった汐留川右岸の建物。 

1904年(明治37年)撮影、日本初の空中写真にも汐留川の建物が写っており、状況は前掲地図とほぼ同じ。
海軍省による実験的な空撮
明治になって築地(現在の中央卸売市場)に海軍兵学校が開設された。 その技士が気球を使って南から北の4枚の写真を撮ったのが、日本初の空中写真といわれている。

: 幸橋架道橋
奥の外濠沿いには家が無く、土橋より手前(東側)には川沿いに家が建ち並んでいる。このため、架道橋部分でカギ型になっている。

次は、この区間の開通から 6年後の地図。 大正時代になると外濠は埋め立てられていて、道路が通されたが、架道橋では南側に位置したままである。 道が先か 架道橋の完成が先か、同時か。
1916年(大正5年)一万分の地図






水路






汐留川
建物
道路
大日本帝国陸地測量部/国土地理院 サイズ: 400 × 300
真っ直ぐ通れる道の位置が、架道橋の南側となっている。 通常の中央を車が通る構造にすると、ガードの下で「蛇行」することになり、南側を通すことで対処したのではないだろうか?

汐留川だった所では、この「川沿いの建物の区画」が現在でも残っている。
↑川の跡に高速道路。 手前の道は外濠通り。

しかし現在の道路は、明治16年の地図のように、ふたたび山手線の内側で「雁行」している。
1930年(昭和5年)空中測量の地図

山手線の外側から内側を見ている。 1916年(大正5年)の地図が不正確だったとしても、架道橋の位置では、もともと道が南側(地図では下側)に寄っていた。


近 景 (山手線の外側から)      2014.4.25
橋に戻って橋脚を見る。 新橋方向を見ている。

道路に立つ橋脚           2014.4.25
新橋側から有楽町方向を見ている。
中央の2線(山手線)がオリジナル。 通常 銘板は一番外側にだけ取り付けられるため、明治期の銘板は残っていない。 両側の穴の開いたボックス柱が 架け替えられたもので、ブレースはいずれも後から取り付けられたもの。
明治の橋脚 ↑              1955年(昭和30年)頃の橋脚

明治の橋脚     2015.1.11
建設当初は四隅の 印に、綱棒のブレースが張られていた。

新橋側の橋台
南側の広いスパンは主に車道にあてられて、歩道は狭い。 橋台は 震災や戦災の影響を受けていない。 4線の橋台はデザイン的に二分割され、中央に隅石がある。

有楽町側の橋台           2014.4.25
有楽町側のスパンはすべてが歩行者用だが、植え込みが作られている。 広すぎると自転車が置かれたり、寝泊まりする人が出るためだ。
                  東海道線の2線との間には 隙間がある。↑

脱落した銘板 ?
昭和30年頃に架けられた桁の銘板が無い。 おかしいと思いつつも見過ごしていたが、再度訪れた時に、裏側にあることがわかった。 普通は必ず桁の外側に取り付けられるのだが、内側の非常に見にくい場所にあった。
(次の写真の左側) 取り付けの手違いだろう
フォトショップで無理矢理歪みを直すと、桁の製作年 昭和29年がはっきりと読め、『鉄道ファン』に小野田氏が載せている 「昭和31年の山手・京浜分離の時に架け替えられた」という記述の裏付けとなった。

ただし、架け替えられた理由については 記述がない。  桁の位置や線形も変わっていないようだし、桁下の高さもほかと同じである。

新橋駅 第2ホームから            2014.4.25
曲線部に架けられている。 中央2線の桁がオリジナル。 スパンの長い両端部の上部が高くなっている。

違いは桁の形式で、
  古い桁 : 下路閉床式、バラストが敷かれている
  新しい桁 : 中路開床式、少しだけ梁せいが高く、全スパンとも同じ高さ
          部材の幅が広い

しかし、京浜電車が重たかったということはないだろう。



T 部 2 線分 : 1942年(昭和17年)7月 竣工、現 東海道本線

戦前に2線を増線したのは、東海道線・横須賀線の線路容量が飽和に達した上に、品川に旅客操車場が新設され、それに伴う回送列車が増加したためである。 しかし戦争が激しくなったため、高架橋が増設されたのは東京駅の手前、第4有楽町橋の中間までだった。               (第4有楽町橋高架橋 B部 参照)

新橋方向              2014.4.25
A部
T部 と A部の間から新橋駅方向を見ている。 駅が近いので線形の変更の可能性があるために、単線桁2線とされた。 道路を広く使うために、A部では2本だった橋脚を1本省略してスパンを長くした。

新幹線の下から山手線の内側方向     2014.4.25
A部


TX部




有楽町
すぐ手前に東海道新幹線の桁があるため、全体像は写せない。

新橋駅東海道本線のホームから
下路閉床式の架道橋。 第1〜4線よりもスパンが長い分 桁のせいが高く、上部に突き出ている。



TX 部分 : 東海道新幹線 2線 : 1964年(昭和39年)10月

東京オリンピック開催に合わせて10月1日に開通。

山手線の外側から           2014.4.25
架道橋の隣にあった外濠の延長線上に、第一ホテルが建っている。

近 景               2015.1.5



                位 置 (終戦後 6線の状態)
1948年(昭和23年)3月の空中写真/国土地理院
  有楽町駅                               新橋駅
写真サイズ 400 × 135 ドット

幸橋 架道橋 データ
位 置: 港区新橋一丁目 東京駅より 1K 665M 07
管理番号: 8 (東海道線)
道路名:  −
線路の数: 8線 (下記 A〜TX は仮の呼び名)
山手線の
  内側から
A: 4線: 京浜東北線 ・山手線
T: 2線: 東海道線
TX: 2線:東海道新幹線
総径間: A: 22.30 m (工事記録の 73.6尺による)
   現在の塗装記録は 22.95 mとなっている
T : 29.57 m ( 塗装記録による )
TX : 29.42 m( 塗装記録による )
空 頭: 高さ制限 : 3 . 3 m
竣工年: A: 1910年(明治43年)6月 複線開通
   1914年(大正3年)12月 複々線開通
 第1 ・第4線のみ
   1956年(昭和31年)頃に 架替え工事
T: 1942年(昭和17年)7月までに増線
TX: 1964年(昭和39年)10月1日 開通
名前の由来:  建設当時、すぐ北側の外濠に架かっていた
 「幸橋」に 由来する。

タイトルの地図について : 地図サイズ 299×94
明治42年(1909年)測図、 大正5年(1916年)第一回修正測図 1万分の1地図
「日本橋」に加筆            大日本帝国陸地測量部/国土地理院 発行

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