山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋
新橋 → 浜松町

12. (仮称) 新シオサイト架道橋
港区画街路第4号線 架道橋

汐留地区の区画整理事業に伴って造られた新しい架道橋で、シオサイト架道橋の竣工時期 2007年よりも後の、2009(平成21)年の開通。恐らく日本一 "豪華" な造りの架道橋である。
JR東日本による「名称看板」が無いため、仮称を「新シオサイト」とした。その理由は、架道橋に「SIOSITE」の文字が埋め込まれているため。
特定非営利活動法人 コムーネ汐留 の資料によると、地域の住人によって結成された「汐留地区対策協議会」が、東街区も合わせた「汐留地区街づくり協議会」に発展し、東西汐留地区の性格の違いなどの様々な困難を乗り越えて、区画整理事業が進められたそうだ。
道路が都市計画事業決定されたのが 1992(平成4)年、着工は 2002(平成14)年でシオサイト架道橋が竣工する5年前。
「SIOSITE」の文字は、この架道橋の名を「シオサイト架道橋」したかったという思いが表れているように思える。



シオサイト について

「汐留地区(敷地)」に対して 2002(平成14)年頃に付けられた愛称。

汐留地区街づくり連合協議会のホームページの地図に加筆
ABCなどは地区名。その範囲は新橋付近にとどまらず、浜松町にまで及んでいる。東地区(図の上側)には大型ビルやマンション・超高層ビルが多いが、西地区はいわば通常の街区で、性格が異なる。
本架道橋は、線路で分断されている東西の地区を結ぶもの。
再開発前の汐留地区 1989年

空中写真 CKT893-C7-30 / 1989(平成元)10月20日撮影 / 国土地理院
東側はほぼ何もなく、土地が高く売れればそれでよいのだが、西地区には住民がいて、再開発後も住み続ける。



遠 景   2010.11.23.
山手線の内側から。線路の向こう側には超高層。
近 景         2024.2.8.
明治末の新線建設時に築堤した部分で、架道橋の高さを確保するために掘り下げたもの。歩道と車道には段差があるのは、掘削量を少なくするため。
手摺りのX型のデザインは、明治時代から続いていた架道橋の手摺りから取ったもの。
X型の手摺り:竣工当時の第2有楽橋架道橋


豪華な造りの数々

仕上げはすべて石貼り
床も含めて すべて石張り仕上げ。
凝った柱のデザイン
柱や壁の波の模様は、汐留地区街づくり連合協議会 のロゴマークからとったもののようだ。
JREの「ウインズ汐留」2階レベルから新橋駅方向を見ている。
架道橋の歩道部分が広い。普段はほとんど人通りがないが、ウインズ汐留は場外馬券売り場で、レースのある日にはたくさんの人がこの橋を渡る。
街路灯
こんなにたくさんは いらないでしょう!
床材と腰の仕上げの様子 JRA
通常の架道橋では考えられない仕上げで、ほかと比較すると 過剰なまでの豪華さである。発注者・事業者は「東京都」であるから、税金の無駄遣いとも言える。
すぐ隣に建つ 日本中央競馬会 (JRA) が、費用の一部を負担しているのかもしれない。
交通量は多くなく、ましてや人通りは極めて少ない。



TS部分 :東海道新幹線2線:1964(昭39)年10月
   東京オリンピック開催に合わせて開通

海側からの遠景
新幹線部分は「豪華」ではないが、1964年に開通していた新幹線の「高架橋の脚」を切って造ったものなので、「高価な橋」と言えよう。

築堤の上に並んでいたRC造の柱4本(が元の位置、は仮受け)を、赤線で囲った「巨大な梁」で受けている。



位 置
1948(昭和23)年3月の空中写真 / 国土地理院
新橋駅                     浜松町駅

(仮称)新シオサイト架道橋 データ
位 置: 港区東新橋一丁目
管理番号:  - :追加無しのようだ  *注)
道路名: 港区画街路第4号線
線路の数: A:4線:京浜東北線、山手線
T:2線:東海道本線
TS:2線:東海道新幹線
橋 長: 都市計画道路の幅は 18 m
竣工年: 2009(平成21)年10月
名前の由来:  たくさんある親柱に「SIOSITE」の
 文字が埋め込まれているのだが、
 環状2号線の架道橋に先に「シオサ
 イト」が使われてしまったため。
*注) 源助橋が 13、汐留橋が 14、この先の新銭座橋が 15 のままである。
追加変更すると、大阪までのすべての番号が変わってしまうためだろう。

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