山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
渋 谷 → 原 宿

5. 地下鉄 銀座線

起伏の多い東京の地形ならではの 逆転の発想? 
高架駅の山手線の さらに上を横切る地下鉄は、私鉄との相互乗り入れを視野に入れた結果だった。 渋谷 - 青山間の開業は 1938年(昭和13年)12月。 上野方面への直通運転が開始されたのは翌年。

本来は 山手線に関係する部分だけでよいのだが、東側と西側も調査した。

東 側 (山手線の内側)

東口遠景 (南側)              2011.6.25
南側の歩道橋から。 今は取り壊された連絡通路(跨道橋は 1956年(昭和31年)の完成、東急が建設したもの。) 
この時点では右側の「ヒカリエ」ビル(写真には写っていない)が 工事中。 現在は手前に、ヒカリエへの新しいオーバーブリッジができて、景色が変わった。 (次の写真)
東口遠景 (南側)              2012.10.2
ブリッジは半分だけが本設で 左側は仮設。
恐らく、現在の東急東横線部分に新しいJR線ホームが 2面 新設され、仮設ブリッジ部分が新しい改札口やコンコースとなるのだろう。 
銀座線はこの裏に新しいホーム1面が建設される。 地下工事も含めて まだまだ工事は続く。 

山手線との関係                2011.4.19
ヒカリエ
(この時は
 工事中)

←銀座線

東横線

首都高速
3号線


埼京線

山手線→

←山手線
銀座線は 地上3階レベルだが、建物に囲われてしまって外から駅は見えない。 緑色の壁が、地下鉄ホーム上部に造られた渡り廊下。
東横線が地下にもぐると、将来、東横デパートも含めて付近は全面的に改築・再開発される。

遠 景 (北 側)                       2011.6.25
左 明治通り                                 東口駅前広場
ここに新しい銀座線の駅ができる。


金王 架道橋     2012.10.2.
後ろは すでに竣工した ヒカリエ。

老朽化した RC高架橋部分は 耐震補強されている
このまま使い続けるのか、造り直すのか。

駅側の架道橋    2011.6.25. 仮受けされた架道橋   2012.10.2.


架道橋の名称は「東広場架道橋」、支間 40m109。

2011年の写真は渡り廊下の窓からだったが、その渡り廊下が撤去され、遠くからは見えなかった南側立面が よく見えるようになった。

再開発では ここに新駅が建設されるようだ。
架道橋は撤去されるのだろうか、それとも橋脚の更新なのか。

下の2枚の撮影も 2011.6.25

銀座線高架橋の南側             2012.10.2
ヒカリエ開業直後には見えなかったもの。 今後の変化が楽しめる。

銀座線 渋谷駅 の 歴史

1927年(昭和2年)12月 : 東京地下鉄 浅草 - 上野間 開業。 
                 日本初の地下鉄
1930年(昭和5年)1月 :  同 上野 - 万世橋仮駅間 開業
神田川の下を オープンカットで施工
1931年(昭和6年)11月 : 同  万世橋仮駅 - 神田間 開業

1934年(昭和9年) : 新橋まで開業
 
1938年(昭和13年) : 東京高速鉄道 青山六丁目 - 渋谷間 開業
1939年(昭和14年)9月 : 渋谷 - 浅草 直通運転開始


終戦後の様子
1947年(昭和22年)9月/米軍撮影空中写真/国土地理院
写真サイズ : 400 × 278
当初からビルを突き抜けて、道玄坂方面まで伸びていた。 これは建設した東京高速鉄道が、多摩川方面への延長を考えていたためである。

軌道幅や架線の形式が違うために、その後建設された半蔵門線で直通運転されることになった。

次に 空中写真を拡大して詳細を見る。
駅の東側 詳細








写真サイズ
280 × 400
1947年(昭和22年)9月/国土地理院
開業から9年後の写真である。 付近は戦災を受けているが、地下鉄はどうだったのだろう。 山手線の上を跨いでいる駅がはっきりと見える 。  その上側 玉電ビルは3階以上は建築されずに(地下鉄駅部分のみ3階まで)工事が中断されたために、屋上に増築端が見えている。 戦後に「東急会館」として増築・完成した。

明治通りはまだできておらず、駅側の渋谷川横の道(東口広場)も ようやく整備されている雰囲気だ。 は コンクリート高架橋部分。

この状況では前掲した 水色の架道橋 が当初からあったのかどうか、自信がなくなってしまう。 駅側の架道橋の北側に銘板があるのだが、2011年に写真を撮った時は工事中で近づけず、確認できていなかった。

2012年の夏を過ぎて、東口広場を横断していた 旧ブリッジが撤去され、金王架道橋の南側にある銘板が見えるようになった。

金王架道橋 南側            2012.10.2
右側に コンクリートの枠が残っている所が、以前 オーバーブリッジがあった場所。 そのまま水平に進むと、地下鉄とは違って道路に出た。
一行目、昭和の文字は潰れているが 「十二」がはっきり見えるので、桁の製造は1937年(昭和12年)で間違いない。

駅から 東側を見る
「東広場架道橋」と 奥に「金王架道橋」。 こんなに曲がっているとは 思いもよらなかった。 さて、新駅はどこにできるのか? 線路を両側に膨らませて、中央に造るのが良さそうだ。



山手線部分

駅は ビルの中
今まで気にも止めなかったが、ホームも曲がっている。

この下が 山手線
跨線部分はSRCではないのだが、まったく下が見えない構造となっている。
下から見ると・・・。

山手線内回りのホームから 銀座線の駅を見る
恵比寿方向を見ている。 緑色の外壁で、窓がある 3階部分が銀座線の乗車ホーム。 4階以上は デパートの渡り廊下となっている。

渋谷駅の西側(南口、西口、北口)は、東京オリンピックを挟んで、1961年(昭和36年)~1968年( 同 43年)に ホームの長さと幅を広げる 息の長い大改造が 行われた。 現在銀座線の桁を支えるこの柱は、その中で 1964 年(昭和39年)頃に 新しく造られたものである。

降車ホーム
降車ホームには 開業当時から二カ所の出口があった。 その後の駅改造で、通じる先は変わったり増えたりしている。

原宿方向を見る


恵比寿方向を見上げる
3枚ずつのプレートが残っている
こちら側に見えている緑の壁が 降車ホーム。 建設当初はの位置に 柱があったが、線路の曲率を改善する工事で、山手線の内側方向に 2m ほど位置変更された。

右上の降車専用改札通路から見た様子が、次の写真。
中央
 連絡通路
銀座線
降車ホーム
下に見えている屋根は 山手線内回りホームの屋根。 左は 1955年(昭和30年)頃に架けられた、連絡通路である。 
反対側にある 斜めの緑の壁が もうひとつの降車専用改札口で、次の写真に出る。
降車ホームからの出口専用改札


位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
写真サイズ
400 × 115
   渋谷駅                渋谷川   明治通り  原宿駅

銀座線 跨線 線路橋 データ
位 置: 渋谷区道玄坂一丁目 および 渋谷二丁目
管理番号:  -
線路の数: 2本
支 間: 竣工時は2径間で 約34m
竣工年: 1938年(昭和13年)12月
跨ぐ線路: 4本 : 山手線、埼京線
名前の由来: 当初 浅草から新橋まで一度に開業する計画で、日本一の繁華街 銀座(中央通り)を通るところから、戦後に銀座線の名が付けられた。




西側 渋谷駅の先は?(山手線の外側)

開口部に見えるのが 西広場架道橋。 望遠で撮っているので短く見える。

ビルを通り抜けた車両はすぐに折り返すのではなく、300m以上西側、道玄坂の台地に食い込んで 地上レベルに車庫があった。 下図
駅の西側 詳細








写真サイズ
256 × 400
1947年(昭和22年)9月/国土地理院
途中に並列するのは 井の頭線 渋谷駅。

ブラタモリで放映したのでおなじみになったが、現在は、車庫全体がビルの中にはいっている。

西広場架道橋 遠景          2011.4.19

玉川口から見上げる 東急百貨店西館を振り返る
東口と塗装の色は異なるが、開業時に架けられたもの。

線路横の路地を西に進む


3階レベルの開口が地下鉄

ビルは マークシティー


さらに進むと 坂の途中で車庫レベルとなる。

窓から車両が・・・

この項の参考文献 : 『鉄道ファン』 連載シリーズ / 小野田 滋
  東京鉄道遺産をめぐる 24 / ハチ公が見上げたターミナル 2011年5 ・6月
     同           25 / 駅前広場の思想 2011年7 ・8月
     同           26 / 共同駅とモダニズム建築 2011年10 ・11月 ・12月

タイトルの地図について : 地図サイズ 299×93
明治42年(1909年)測図 大正5年(1916年)第一回修正測図 1万分の1地図
「三田」に加筆               大日本帝国陸地測量部/国土地理院 発行

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