山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
渋 谷 → 原 宿

8. 中渋谷 架道橋

品川線開通時の渋谷駅は今よりも恵比寿寄りにあり、「地上駅」(標高 15.33 m)だった。 渋谷-原宿間は そこから 標高 約 30m まで、当時の最大勾配である100分の1で登っていく区間である。

宮益坂も含めた前後の踏切をなくすために、複々線化時の移転をきっかけに 渋谷駅を「高架駅」とし、それに伴って駅付近の線路は嵩上げされた。

この上渋谷架道橋部分には 当初は道路がなかった。

いつ架道橋ができたのか、コンクリートアーチで竣工年の銘板がないために特定ができず、地図や写真をにらむしかない。

遠 景                2011.4.19.
原宿方向を見ている。 架道橋の位置 が 宮下公園・駐車場の南端となっている。

全 景 (山手線の内側から)        2011.6.25.
宮下公園の南の端から。 右側のフェンス内は スケートボードの練習場。
 
近 景 (山手線の内側から)
歩行者専用道。 中まで 自転車とバイクの置き場となっている。

遠 景 (山手線の外側から)        2011.6.25
道路は平ら。 高さの低い架道橋にすることで、道路の切り下げは避けている。
近 景 (山手線の外側から)       2011.2.26.

中渋谷架道橋 の 歴史

1885年(明治18年) : 日本鉄道 品川 - 赤羽間 開通 (現 埼京線部分)
1905年(明治38年)10月 : 日本鉄道品川線 渋谷 - 新宿間 複線化
1912年(明治45年)7月 : 明治天皇 崩御
1920年(大正9年) : 明治神宮が創建される

複々線化 工事中の状態
1921年(大正10年)部分修正の1万分の1地図/国土地理院
渋谷駅付近は、駅の高架化に伴って新線のレベルが高くなり、東側(図では下側)には道ができている。 しかし 西側には道が無く、新設された石垣が続いて、架道橋はできていない

1922年(大正11年)7月: 山手線 渋谷 - 原宿複々線化
1923年(大正12年)9月: 関東大震災

1928年(昭和3年)修正測図の 1万分の1地図 でも、前掲地図と同じ状態である。


終戦後 1947年(昭和22年)9月の様子
米軍撮影空中写真/国土地理院、 写真サイズ : 400 × 272
購入した空中写真の原画(データ)は 7,759ドット角、57MBもある。
上図の中渋谷架道橋部分を拡大してみると・・・
明らかに道が通っているので、戦前にはできていたことになる。
1928年(昭和3年)からの20年間だが、戦争中に作ることはないだろうから、約15年の間 となろう。



位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
写真サイズ
400 × 115
   渋谷駅                渋谷川   明治通り  原宿駅

中渋谷架道橋 データ

位 置: 渋谷区渋谷一丁目〜神南一丁目
  品川より 約 7K 330M
管理番号:  15
道路名:  −
線路の数: 計 4 本 (下記 A B は仮の呼び名)
A: 2本: 埼京線、湘南新宿ライン
B: 2本: 山手線
支 間: アーチの幅で 約 5.5 m
高さ制限: 2. 5 m
竣工年: 不明
 1928年(昭和3年)からの15年間
備 考:
名前の由来:  旧地名に基づく。
 開通時には 宇田川と宮下をつないだ
明治末から大正にかけて、居間の渋谷区一帯は「東京府 豊多摩郡 渋谷町」だった。 青山や広尾などの一部を除いて、大きくは「大字上渋谷・中渋谷・下渋谷」に分かれており、それぞれに多くの「字」があった。

中渋谷架道橋の住所は、「大字中渋谷 宇田川」で、命名に不具合は無い。 現在の感覚では渋谷に「上中下」はない。 上渋谷架道橋と渋谷駅の間にあるので「中渋谷」といった解釈ができよう。

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