山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
渋 谷 → 原 宿

9. 上渋谷 架道橋

品川線開通時の渋谷駅は今よりも恵比寿寄りにあり、標高 15.33 m 「地上駅」だった。 渋谷-原宿間はそこから標高約30mまで、当時の最大勾配である 100分の1で登っていく区間である。

宮益坂も含めた前後の踏切をなくすために、複々線化の時期をとらえて 渋谷駅を「高架駅」とし、それに伴って駅付近の線路が嵩上げされた。

この上渋谷架道橋も 当初は踏切だった。 特に主要な道路ではなかったために複線化時には踏切のままで、複々線化時に立体交差化された。

現在の桁は二代目で、架け替えの理由は恐らく 道幅を広げるためである。

               全 景 (山手線の内側から)       2011.6.25
宮下公園の歩道橋から。 手前に高圧電線を通す桁があって、肝心の架道橋が見えない。
 
近 景 (山手線の内側から)
そこで 下から。 右側にも土手があったが奥に電気設備が作られ、2006年12月に垂直の擁壁とされた。
 
歩道部分
架道橋のスパンを短く済ませるために、四角く囲った歩道のコンクリートに桁を載せている。 キャットストリートから渋谷に流れる若者が歩くルートとなっている。

ガ−ドの下から (渋谷方向)
垂直荷重がかからない部分に開口がある。 これだけでも 歩道の閉塞感が和らげられる。

             遠 景 (山手線の外側から)       2011.2.26
神南郵便局前交差点から。 内側に流れていた渋谷川部分の標高が低いこともあって、架道橋にする時に道路を切り下げたようだ。


上渋谷架道橋 の 歴史

1885年(明治18年) : 日本鉄道 品川 - 赤羽間 開通 (現 埼京線部分)
             (仮称)上渋谷踏切ができた。( 印)

単線時代 1897年
1897年(明治30年)修正の2万分の1地図/国土地理院

1905年(明治38年)10月 : 日本鉄道品川線 渋谷 - 新宿間 複線化

複線化後
1916年(大正5年)修正測図の1万分の1地図/国土地理院
 青山街道                              渋谷川
初めて発行された一万分の一地図 1909年(明治42年)版ではまだ踏切の状態である。 同版は購入コピーが荒れているので、状態が変わっていない 1916年(大正5年)修正版を載せる。 全図とはスケールが異なる。 渋谷川には田んぼが残っている。

1906年(明治39年)9月23日 : 代々木駅 開業 (中央線のみ)
            10月30日 : 原宿駅開業、恵比寿駅旅客営業開始
1909年(明治42年) : 山手線と改称、 山手線に代々木駅停車開始
1912年(明治45年)7月 : 明治天皇 崩御

1920年(大正9年) : 明治神宮が創建される

複々線化 工事中の状態
1921年(大正10年)部分修正の1万分の1地図/国土地理院
この区間の複々線化は次の年であるが、地図では山手線の外側に新しく増線した複線だけが表示されている。 これはこの時点では、もともとあった内側(図では下側)の線は使っておらず、旧線の踏切を立体化する工事中であることを意味している。 

特に渋谷駅付近は、駅の高架化に伴って新線のレベルが高くなっており、旧線の土手も高くする必要があったはずだ。 新線を仮設線として使い、旧線の線路を撤去して工事したものと思われる。

上渋谷では、踏切の位置そのままに架道橋が設けられた。 一定期間 踏切は閉鎖されたかも知れない。

1922年(大正11年)7月: 山手線 渋谷 - 原宿複々線化
1923年(大正12年)9月: 関東大震災
1924年(大正13年)12月 : 原宿 - 新大久保間の複々線化 完了

複々線化後
1928年(昭和3年)修正測図の 1万分の1地図/大日本帝国陸地測量部


終戦後 1947年(昭和22年)の様子
米軍撮影空中写真/国土地理院、 写真サイズ : 400 × 228
購入した空中写真の原画(データ)は 7,759ドット角、57MBもある。
それを拡大して、隣の宇田川架道橋の長さと比較してみると、初代の上渋谷架道橋はわずか 4mほどである。

1983年(昭和58年)12月 : 架け替え工事着工
1987年(昭和62年)3月 : 二代目架道橋 竣工、 工期 約3年半
銘 板
桁の作成は1986年
 
WTG : 溶接下路プレートガーダ、 6 : KS荷重16、 10 : 支間約10m。
-2 : 同じ桁が2本並んでいる。 歩道も入れて、約 15m となった。

1989年(平成元年)の空中写真
国土画像情報 CKT-89-3 C7/国土交通省
拡張後の写真。 これまでの地図や写真とはスケールが違う。
線路沿いの緑地が宮下公園である。



位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
写真サイズ
400 × 115
   渋谷駅                渋谷川   明治通り  原宿駅

上渋谷架道橋 データ

位 置: 渋谷区渋谷一丁目〜神南一丁目
  品川より 7K 526M 69
管理番号:  16
道路名:  −
線路の数: 計 4 本 (下記 A B は仮の呼び名)
A: 2本: 埼京線、湘南新宿ライン
B: 2本: 山手線
支 間: 約 10 m
空 頭: 4. 5 m  高さ制限表示なし
竣工年: 初代 : 1921年(大正10年)頃 
  2線ずつ工事したため、A Bで時間差あり
二代目 : 1987年(昭和62年)3月
備 考:
名前の由来:  開通当時の 付近の村名による。

1968年(慶応4年)に発足した東京府の行政区画は、1889年(明治22年)に 15 区からなる「東京市」が施行されるまで、何度も変更された。

品川線開通時 1885年(明治18年)の町村名は はっきりしないが、1887年
(明治20年)測図の 『東京五千分壱実測図/内務省地理局』での踏切の位置は
  東京府 南豊島郡 上渋谷村 字町裏
であった。


 付近の情景 宮下公園

明治末までの地名は 豊多摩郡渋谷町 大字上渋谷 字上渋谷町裏 および 大字中渋谷字宇田川 であったが、昭和初期には「宮下」の地名が表記されている。 町裏 では変えたくなるのも当然である。
 
宮下の地名
1928年(昭和3年)修正測図の 1万分の1地図/大日本帝国陸地測量部

宮下の由来は東側の台地の上に 広大な「梨本宮家」の敷地があったため。
渋谷川流域の低地で 宮家の下に位置したので名付けられたものである。

東京オリンピックの 1964年(昭和39年)頃、地上階を駐車場とする空中庭園とされた。 公園の命名権と再整備をめぐって紛争があったが、2011年(平成23年)にリニューアル・オープンした。
費用を負担しているナイキ・ジャパンは、命名権を行使せずに 宮下公園のままとしている。

公園北側部分の舗装

上渋谷架道橋付近
駐車場入り口と デッキ・レベルへの階段。 段板は木製。

クライミング・ウォール
利用は有料。 初心者は指導が受けられる。
係員のユニフォームには ナイキのマーク。

スケート・ボード場


Top Menu へ 山手線が渡る橋・くぐる橋 高橋俊一 宇田川架道橋 へ