山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
渋 谷 → 原 宿

11. 水 無 橋

みずなしばし。   
山手線が堀割で通されたために、以前からあった道に橋が架けられた。 開通当初は 恐らく木造。 神宮橋も五輪橋も無かったので、馬車や大八車が行き交っていただろう。 それにしても 情緒のない命名だ・・・。

                     遠 景               2011.2.1
原宿方向を見ている。 奥に重なって見えるのが五輪橋。 手前の踏切状のものは保線用の資材搬入口。 
「8 」の杭は品川から 8kmを示す。 水無橋までは約250mの地点である。

              全 景 (付近の歩道橋から)        2010.11.6
渋谷駅方向を見ている。

                 全 景 (五輪橋から)          2011.2.1

             近 景 (山手線の外側から)        2011.6.25
この日夕方は 人身事故ですべての電車が止まってしまい、線路だけ。

山手線の外側から
一方通行で車も通れるが、歩道を切り下げた形で「道路」とはなっていない。
2006年(平成18年)3月に架け替えられたばかりで、まだ新しい。

山手線の内側から



水無橋 の 歴史

この道は江戸時代からあり、青山から代々木村への数少ない道である。

線路は 渋谷から新宿の最高地点へ向けて、当時の勾配の限度である 100分の1で登って行くが、急に立ち上がる代々木の台地は切り通しにする必要があった。

日本鉄道品川線 単線の状態 1897年
1897年(明治30年)修正の 1万分の1地図/陸地測量部/国土地理院

1905年(明治38年) : 渋谷-新宿間複線化

複線の状態 1909年
1909年(明治42年)修正の 5千分の1/陸地測量部/国土地理院
西側が練兵場になってからは、山手線の外側に線路沿いの道ができる。

複線化時に橋が架け替えられたかどうかは 不明。 初めから2線分を確保していた可能性がある。

複々線化の工事中 1921年
1921年(大正10年)修正/大日本帝国陸地測量部/国土地理院
渋谷-原宿間複々線化の少し前の状態。 線路敷の幅が倍になったので、橋は架け替えられたはずだ。
しかしすでに 神宮橋や表参道が新設されていて、この時点で主役の座を譲っている。
1922年(大正11年)7月 : 渋谷-原宿間 複々線化

2006年(平成18年)3月 : 新橋に架け替え。 


位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
写真サイズ
400 × 115
   渋谷駅                渋谷川   明治通り  原宿駅

水無橋 データ
位 置: 渋谷区神宮前六丁目〜神南一丁目
  品川より 約 8K 250M
管理番号:  −
道路名: 区道
線路の数: 計 4 本  山手線 : 2本
       埼京線、湘南新宿ライン : 2本
支 間:
幅 : 約 7m
竣工年: 初代:1885年(明治18年)3月 品川線開通
二代目?:1922年(大正11年)複々線化
現在の橋:2006年(平成18年)3月
備 考: 仮名 : 穏田橋
名前の由来: 橋の下は「水」ではなくて「線路」。 
だから 「水無し」。 確かに、明治18年に品川線が開通した当時、新橋-横浜間や 上野-熊谷間で、鉄道の上に橋が架かっているところは無かったかも知れない。     (未確認)

品川線開通時には 線路に架かる「オーバーブリッジ」が6ヵ所ほどできたが、そのひとつであった。

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