山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
渋 谷 → 原 宿

12. 五 輪 橋

ごりんばし。   山手線開通当初は「水無橋」、大正以降はもっぱら「神宮橋」が使われいて、戦前の代々木練兵場、戦後のワシントンハイツにつながる広い道は無かった。 1948年(昭和23年)までの付近の状況は、「神宮橋」の項を参照していただきたい。

東京オリンピック 1964年(昭和39年)の水泳競技メイン会場である、「国立代々木競技場」ができることになって道路も計画され、神宮橋を迂回せずに表参道に直結するために五輪橋が造られた。

                   全 景 (水無橋から)         2011.2.1
原宿駅方向を見ている。

                   山手線の内側から          2010.12.23
奥に体育館。                                 神宮橋 ↑

                   山手線の外側から          2010.11.6
↑ 神宮橋。  この交差点は横断歩道が左側の一ヵ所しか無く、極めて不便だ。 足が不自由な人は 体育館に行けない。

                     親柱 と 手摺り          2009.12.23
親柱の上には地球儀、手摺りにはレリーフがあり、題材は当時のお家芸であった マラソン・体操・柔道 である。
ポスターを思い出させるブロンズの扉は、親柱の照明の点検口となっている。


五輪橋 の 歴史

戦前の 表参道と神宮橋の様子は 「神宮橋」の項を参照のこと。

1941年(昭和16年)12月〜1945年(昭和20年)8月 : 太平洋戦争

終戦後の様子 1947年
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院/撮影は米軍
戦後2年が経つが、家が建っていない所がほとんどである。

1959年(昭和34年)5月 : 西ドイツのミュンヘンで行われた I OC総会で、
            東京が1964年の夏期オリンピック開催地に選ばれる。
丹下健三らによる「釣り屋根」構造の設計。 遅れた着工は1963年(昭和38年)2月で、次の空中写真 (1963年9月)では、まだまた基礎工事の状態である。
1963年(昭和38年)9月の状態
国土地理院 / 写真サイズ 395 × 281
「五輪橋」は まだ影も形もない。 体育館は、工期1年7ヶ月という超突貫工事で、開催の約1ヶ月前に完成した。

1964年(昭和39年)3月 : 五輪橋 竣工
1964年(昭和39年)10月 : 東京オリンピック 開催

1965年(昭和40年)11月の状態
国土地理院
前掲の写真とはスケールが違う。 オリンピック終了 1年後の状態だが、現在の前面の道路は依然として 整備中である。
返還されたワシントンハイツの北半分は選手村として使われ、1967年頃に代々木公園として整備された。

1974年(昭和49年)の状態
国土画像情報より / 国土交通省



位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
写真サイズ
400 × 115
   渋谷駅                渋谷川   明治通り  原宿駅

五輪橋 データ
位 置: 渋谷区神宮前六丁目〜神南一丁目
  品川より 約 8K 330M
管理番号:  −
道路名: 東京都道 413号 赤坂-杉並線
線路の数: 計 4 本  山手線 : 2本
       埼京線、湘南新宿ライン : 2本
支 間:
幅 :
竣工年: 1964年(昭和39年)3月
備 考:
名前の由来:  東京オリンピック開催に伴って架けた橋。


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