山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
原 宿 駅
地図については 脚注参照

番外 その2. 臨時ホーム

正月だけ使われる、神宮前ならではのホーム。

       遠 景 (参宮橋の上から)       2009.12.23
    ↑ 右側が 年3日間だけの臨時ホーム。

           近 景 (ホームから)          2011.2.7
代々木方向を見ている。


                   3番線 臨時方面識           2010.1.3
       ↑ 使用する時だけぶら下げる。
 
                  2番線には下りられない         2010.1.3
ロープが張られ、扉は開かない。 竹下通りに行く人も 神宮側から おお廻りしなければならない。  
代々木方面に乗る人も 同じ。 知らずに入場した人は、一度渋谷まで行ってから戻ってくる人も・・・。  明治神宮にお参りする人以外は、不便を強いられる。
 
取り外し式の ポール設置部
ポールを立てて ロープを張るタイミングが難しそうだ。  31日に検証が必要。

                              改札口の様子               2010.1.3 15時半
ホームと改札の間に数段の階段がある。  
3日の3時半でこの人なのだから、ピーク時は大変な混雑であろう。

改札は昔懐かしいスタイル。

                     臨時発券機            2010.1.3
冷え込んできました。 「渋谷方面の方は このまま真っ直ぐお進み下さい。」

                 臨時の自動改札 入場専用         2010.1.3
恐らく 次の正月には見る事ができない・・・。 


そのわけは、2011年2月現在 全面改装中で、このボックスも取り払われているため。  自動改札にされるのではないだろうか。

                     改装工事中             2011.2.7


工事は終わったが、ほとんど何も変わらなかった。 単に 屋根を葺き替えただけのようだ。 階段にスロープも付くのではないかと、JRの姿勢を期待していたが。

                 相変わらずの臨時改札口         2011.6.9


 
原宿駅
古レールによる臨時ホーム

『大正浪漫の駅 -原宿駅-/小野田滋』(鉄道ファン 2011年2月号)の <本文注>によると、臨時ホームが造られたのは 戦前の 1939年(昭和14年)12月で、翌年正月から使われたそうだ。

ホームを支えるのは古レールである。 
古レールではあるが、現在見られる長さは10両分はある。(延長部分を除く)
また 溶接やボルトの使用、さらに 1965年(昭和40年)頃から使われ出した「デッキプレート」が使用されている。

これらのことから、当初のホームが木製ないしは簡単な作りだったものを、後年になって作り直した という可能性が高い。

『タイムスリップ山手線』(2003)には、この臨時ホームは昭和20年代後半に設けられたとある。 1950年〜1955年 ということになるが、戦災で傷んだホームを現在のものに造り直した時期かもしれない。

その後に 上部だけを改修したのかもしれないが、未確認である。


停止位置標識
赤が普段の停止位置で、黄色の 臨時停止位置は 少し前。

削られたホーム
ホームの中央部であるが、長さ100m近く 柱のレールが削られて、裏に形鋼で補強した部分がある。 床面に並べられたPCコンクリートも削られている。

電車の幅を10cm広げたのはホームから上の部分だったはずなので、この原因がわかっていない。


 
番外 その3. 臨時ホーム U

『タイムスリップ山手線』(2003) に、「戦前には渋谷側へ約200mほどの位置に外回り線専用の仮駅が設けられた時期がある」 という記述があった。

調べてみると 確かに!

本来は 渋谷 → 原宿間に掲載するものであるが、明治神宮用の臨時ホームという事で、同じ項に掲載する。

臨時ホーム その2 の位置
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
  渋谷駅                                      神宮橋  原宿駅

同じ空中写真の 部分拡大
     ↑臨時ホーム駅舎            水無橋               神宮橋
参拝客の増加で設置の必要に迫られたとして、なぜこんな離れた位置に造られたかというと、ホームに接する坂のレベルが同じ所で、階段などの設置の必要がほとんど無く、てアクセスしやすくてコストも押さえられるためである。

現在残っているホームの跡は せいぜい3両分ほどの長さである。
どんな車両が何両編成だったか、いつまで使われたなど 詳しい事は不明。

             水無橋から (渋谷方向を見ている)      2011.2.1

 
山手線の内側から
石垣の上に コンクリートが二段に打たれている。

お金を掛けてまで 昔の姿に戻す事はしないので、痕跡はいつまでも残る・・・・。
ここも 使われなくなってから 70年は経っている。


脚注、タイトルの地図について : 地図サイズ 299×93
明治42年(1909年)測図 大正5年(1916年)第一回修正測図 1万分の1地図
「四谷」に加筆               大日本帝国陸地測量部/国土地理院 発行

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