山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −


代々木 駅
2011年1月4日掲載、1月31日修正、 6月1日 再修正

1885年(明治18年) 日本鉄道 品川線開業当初はもちろんの事、甲武鉄道が開通した時にも駅は無かった。
1906年(明治39年)に まず甲武鉄道側だけに駅ができ、山手線にホームが開設されたのは明治末期の事である。

現在の 西口
どうしても ドコモ・タワーを入れたくなってしまう。 付近の何枚もの写真に登場するが、別に ドコモ・ファンというわけではない。


代々木駅 の 歴史

1885年(明治18年) : 日本鉄道 品川 - 赤羽間 開通 (現 埼京線部分)
1889年(明治22年) : 甲武鉄道 新宿 - 立川間 開業
1894年(明治27年) : 甲武鉄道 牛込まで 延伸開業 (現 中央線快速部分)
              品川線を高架で乗り越し
1895年(明治28年) :  同 飯田町まで 延伸開業。 新宿 - 飯田町間 複線化
1904年(明治37年) :  同 御茶の水まで 延伸開業
1905年(明治38年) : 日本鉄道品川線 渋谷 - 新宿間 複線化
1906年(明治39年)9月23日 : 代々木駅 開業 (中央線のみ)
1906年(明治39年)10月1日 : 甲武鉄道 国有化
1906年(明治39年)11月1日 : 日本鉄道 国有化
1908年(明治41年) : 昌平橋まで 延伸開業
1909年(明治42年) : 山手線と改称、 山手線に代々木駅停車開始

中央線の高架駅(上) と 山手線の地上駅

←南

山手線
      旧 中央東線  は初代代々木街道架道橋  は後の新駅
初めの山手線の駅は現在の埼京線部分の地上駅で、3年前に造られた現中央線の高架駅とは段差があった。

改札口は恐らく 南側に一ヵ所。  中央線のホームも「相対式」であり、階段で上ったあとで反対側のホームへ行くには、さらに跨線橋を上り下りしなければならなかった。

極めて乗り換えが不便な構造となった原因は、当初 駅を想定していない場所にあとから造られたためである。
参考資料:『写真で見る 山手線100年』 46ページの古い写真

山手線 最初の駅があったところ 
厩道踏切から 新宿方向を見ている。
旧山手線外回りホーム部分(中央の印)は 現在 引き上げ線になっている。 また、旧中央線上りホーム(左の印)の位置は、現在切り取られて線路となっている。

山手線と中央線(共に複線)を営業しながら、すぐ横(写真では左側)に、新たな4線と 高架駅のホーム3面 が新設される事になる。


1919年(大正8年) : 萬世橋 - 東京間 延伸開業。 現在の中央線の形となる
1920年(大正9年) : 明治神宮が創建される
1922年(大正11年) : 山手線 渋谷 - 原宿間 複々線化

代々木駅付近は 大正一桁台に工事が始まった可能性が大きい。
『写真で見る 山手線100年』でも、「大正10年(1921年)、明治神宮の造営に合わせて改良工事が行われ、(中略)一気に現在のような姿に変わったのである。」とある。

土木学会誌 『彙報』 第9巻 第2号 1923年(大正12年)4月
   山手線改良工事ニ就イテ(大正12年3月現在) 中山忠三郎
には、複々線化についての詳しい途中経過が報告されており、震災前に新代々木駅や 代々木-新宿間の乗り越し線が竣工していた、という文がある。
また 代々木駅については以下のように表現している。
”構内全部を上家で蔽うのであるので、雨雪の際 乗換等には濡れる心配は更に無く、非常に便利である。屋根は大部分ガラスで蔽うのであるから、極めて明るく本當に気持ちのよいもので、こんなものは中央停車場と云わるる東京駅にすら、其例はない、全く日本最初の試みである。”                       (現代仮名遣いに修正)
新宿-新大久保間の乗り越し線は工事中で、当然のことながら駅などの使用開始については書かれていない。 半年後に地震に見舞われる。

1923年(大正12年)9月: 関東大震災
土木学会ホームページにある 『関東大地震震害調査報告 掲載写真』第二巻 鉄道に、代々木高架駅の被害写真が載っているので、震災以前に工事が進んでいたのは この事からも明らかである。  
結局、工事は早く始まったが、運用開始は結局 1924年(大正13年)かもしれない。

新築された代々木駅ホーム
写真集の被害状況は「支柱の被害」としか書かれておらず、具体的なダメージはわからない。  内側に太い柱があるので、アーチは装飾のようだ。
柱の間からホーム上屋の古レールが見える。

次の写真は 同じ場所の現在の姿。

代々木駅 1番線ホーム (山手線の外側から)
恐らく、震災の被害を受けた直後に行われた柱の「補強工事」で、このようになったのであろう。                 (施工時期 未確認)

アーチが楕円になると、和風のイメージとなる。


1924年(大正13年) : 山手線 原宿 - 新大久保間 複々線化
     山手線・総武線のホームが高架3面(前掲地図の 点線部)に移る

改良工事終了後の状態
写真は終戦後 1947年(昭和22年)7月 米軍撮影 /国土地理院
←原宿     代々木街道架道橋   ↑東口    
直線だった代々木街道 が付け替えられて迂回している。  
が初代 代々木街道架道橋の位置。  手順としてはまず迂回路部分を新設し、その後に旧道を廃止したはずだ。

この写真では 東口のアーチ屋根がはっきりと写っている。 開設時期は新駅完成時である。
前掲 土木学会誌 『彙報』 第9巻 第2号 436ページの配線図 による

現在の 東口地下道入口 (山手線の内側)
     パリの地下鉄風?
放射状の垂木(木製)を受けるのは、アーチ状に加工された古レール。

湘南新宿ラインを くぐるために、入口からすぐに階段となっている。


1925年(大正14年)4月 : 代々木 - 新宿間に 中央線下りの乗り越し線完成
                新宿駅の乗り換えが 方向別となる
1925年(大正14年)11月 : 山手線 環状運転開始
1927年(昭和2年)3月 : 信濃町 - 代々木 間複々線化
1928年(昭和3年)5月 : 新宿 - 中野 間複々線化完了
1929年(昭和4年)4月 : 飯田町 - 信濃町 間複々線化
1932年(昭和7年)7月 : 御茶の水 - 飯田町 間複々線化完了


1969年(昭和44年) : 駅舎をコンクリートに改築

2000年(平成12年) : 北口を開設

ビルの一階がコンコース (山手線の外側から)


駅名 代々木 の由来

隣村の地名「代々木村・代々幡村」に由来する。

駅ができた頃、1911年(明治44年)の地名は、「豊多摩郡千駄ヶ谷町大字千駄ヶ谷字新田」 であった。
千駄ヶ谷の地名は隣の駅に付けてしまったので、苦肉の策として代々木としたようだ。  駅の現在の地番も 渋谷区千駄ヶ谷五丁目 である。

地名 代々木 の由来は不明。
神宮のモミの木
明治神宮内苑には「代々木」の立て札と 竹垣内にモミの木が植えられている。

”この地には昔から代々樅の大木が育ち「代々木」という地名が生まれました。
この前の銘木「代々木」は昭和20年5月の戦禍で惜しくも焼失しましたのでその後植継いだものであります。” (原文通り)

しかし、これは定説とはなっていないようだ。

 

代々木 → 新宿
1. 代々木 高架橋

ホーム部分は築堤(土手)の上に建てたものであるが、西口の一角は柱・梁形式の高架橋となっている。

第一と第二ホームとの間にカバーを掛けた部分があり、その範囲がわかる。
代々木街道架道橋から階段の手前までで、長さはおよそ 30m。

高架橋のおよその範囲
                        代々木街道架道橋↑

各ホームへと分かれるコンコース
改札をはいって一段上るスタイルは、同時期に開業した 神田や御徒町駅と同じ。
高架橋の階高を小さくして、コストダウンを図ったのではないだろうか。

写真奥に 東口改札がある。
 
東口
ここら辺が 高架橋の東の端と思われる。

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