角筈の意味 : 広辞苑をもとに |
1.弓の筈または矢筈の角製のもの |
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「筈」とは、弓の両端の弦をかける所、あるいは 矢を弦につがえる部分で、それを角(つの) で作ったもが「角筈」である。 相撲で、親指と人差し指を開いた状態で押すことを 「はず押し」と言う。 |
2.(斎宮の忌詞で) 優婆塞のこと |
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これだけでは何の事やら・・・・ |
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斎宮 : さいぐう : 伊勢神宮に奉仕した皇女。天皇の名代として、天皇
の即位ごとに未婚の内親王または女王から選ばれた。後醍醐天皇
の時代に廃絶。 |
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斎宮の忌詞 : さいぐうのいみことば : 神慮をはばかり、斎宮が 仏語と
不浄語を忌んで使わないようにするために、代わりに用いた言葉。 |
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優婆塞 : うばそく : 在俗の男子の仏教信者のこと。
梵語の音に漢字をあてたもの。 (女子は優婆夷 うばい) |
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優婆塞は仏教用語なので、斎宮は「角筈」と呼んだ、ということ。
つまり「角筈」は在俗の仏教信者の事である。
恐らく「修行を積んだが 出家をしなかった特定の人」の事であって、「一般信者」のことではないであろう。
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角筈の地名の由来 : 『東京23区の地名の由来』/金子 勤 より |
代々この村の名主をしていた渡辺家の先祖・与兵衛にちなむ。
与兵衛は天文・永禄年間(1532〜70年)の 熊野の乱の時、紀州・和歌山よりこの地に流れ着いて、新田開発を行い、熊野権現の社をつくったという。与兵衛は真言宗の信者で、正式の僧とならずに自宅で修行する「優婆塞」だったので、この地を「角筈」と呼ぶようになった。 |
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地名の由来別案? : |
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南豊島郡時代の旧村名「角筈村」は、青梅街道 と甲州街道 が内藤新宿で斜めに合流する、その内側の部分である。 「角筈」の由来は、この 少しくびれた鋭角三角形の「>」の形を 弓の筈になぞらえたもの ? |
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明治13年測量 東京近傍中部/陸地測量部 |
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まあ、正確な地図などの無かった時代には無理な由来だろう ・・・。 |