山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

新宿 → 新大久保 
3. 青梅街道 架道橋
通称 新宿大ガード
架道橋の管理番号は、中央緩行線扱いである

全 景  (山手線 内側より、2009年11月)
通過中の電車は 湘南新宿ライン。
 
山手線内側 (東側)
右端にコンクリート造の歩道が見える。
ガードの幅は内側の方が広い。 ここまでが 「新宿通り」
 
山手線外側 (西側)
鉄骨造のガードは 3つに分かれている。
道路に対してガードが斜めであるため、傾いて見える。 ここからが 「青梅街道」

新宿駅側 歩道部分 :   山手線 内側(歌舞伎町)   : 新大久保側 歩道部分

線路に対して道路が斜めになっている。
通過中の電車は、中央線

コンクリート部分の通路幅は、約 4m
新大久保側 歩道部分 :   山手線 外側(西新宿)   : 新宿駅側 歩道部分

歩道の右側の壁、西側に近いこの部分だけ古い
橋台が残り、あとは作り直されているようだ。
竣工時期は 未確認。
当初の踏切があったレベルは ?

現在は新宿通りからも 青梅街道からも、大ガードに向けて下り勾配となっている。

品川線完成当時は「高架線」ではなかったので、両側の道路を水平に結んだレベル、すなわち現在の橋脚高さの半分ぐらいの所にあったと思われる。

プレートガーダの詳細 山手線 内側から
新宿駅寄りの 背の高いプレートガーダ(下路・開床式)が現存の一番古いものである。 複線3主桁×2 。(写真 A ) 
これが「初代」のガードのままか、掛け替えられたものかがはっきりしない・・
それに続く背の低いプレートガーダが道路拡張部分である。(写真
単線2主桁×4。 いつ拡張されたかは 未確認だが、恐らく 1968年完成。
手前の5本が一番新しく、1968年から69年(昭和43〜44年)にかけて掛替えられた。(写真
鋼製であるが閉床式となって騒音が押さえられている。
 
プレートガーダの詳細 山手線 外側から
下路プレートガーダには「逆ハンチ」が付きものである。 「ニー・ブレース」と呼ぶ。
左下に一部分写っているのが道路拡張部分 ( 部)。 
B部は各線に2本の桁を使っているため、また鋼材の品質向上のためか、スパンは変わらないのに「梁の高さ」が小さい。

部 - 1 : 下路プレートガーダ 部 -2 : 樋の排水管

新大久保方向をみる。歩道があるため、桁の間に雨水受け(パン)が張られている。

受けた雨水は 新宿駅側で排水。
部 : 下路プレートガーダ 部 の銘板

新宿方向を見る。
雨水受けパンは水平ブレースの上部にある。
銘板があったが、遠くて完全には読み取れなかった。1967年のようだ。
部 : 上路ボックスガーダ 部 : 新大久保側の施工銘板

新宿駅方向を見る。 完全な閉床式である。
1965〜69年に行われた新大久保側の道路拡張に伴って、埼京線などの5本の橋を架け替えたことになる。

着手 1965年(昭和40年)、竣工 1968年。
銘板の「竣工年」は、通常 架道橋全体が完成した年を表示するようだ。少なくとも、工事時期の目安となる。
部 : 桁の銘板。

新宿駅側。橋台の竣工は1969年6月で、桁の銘板はその前年1968年が表示されており、架道橋の完成年ではないことがわかる。

新大久保側。記載年は同じく、橋台の竣工の前年 1967年である。
KS-16 は、16トンの機関車重連を想定した「設計荷重」を採用していることを表す。


位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
    新宿駅         新宿通り                      新大久保駅
青梅街道 架道橋 データ
位 置: 新宿区歌舞伎町一丁目 (〜西新宿七丁目)
品川より 10K 705M
管理番号: 中央緩行線 ( 34 )
通 称: 新宿大ガード
通りの名称: 内側:新宿通り、 外側:青梅街道
線路の数: 9本  山手線外側より
中央緩行線(下り)、山手線 2本、中央緩行線(上り)、中央線 2本、埼京線・湘南新宿ライン (共用)3本
橋 長: 合計 : 約 53M
支 間: 新宿側 :18m00、中央 :15m30、
新大久保側 :15m64
新大久保側コンクリート造歩道部分:幅 約 4m
空 頭: 4.5m以上。 高さ制限の表示は無し
竣工年: 新大久保側コンクリート造歩道部分:
           1968年(昭和43年)2月8日
   この時が、道路拡張時期であろう

新宿側コンクリート橋台部分:
           1969年(昭和44年)6月9日
備 考: 鉄骨の塗装年月:1998年12月
名前の由来: ここから青梅市まで通じる「青梅街道」による
地名の由来: 青梅市の名前の由来のひとつ:
10世紀、平将門が青梅市金剛寺で、鞭として使っていた梅の枝に願を掛けて地面に刺したところ、見事に根付いた。その木に生る梅の実がいつまでも青いことから、この地を「青梅」と呼ぶようになった。
青梅市観光協会のホームページ より

青梅街道架道橋 の 歴史
線路の数
1885年(明治18年)3月 :日本鉄道品川線開通 単線
  開通当初は踏切。
  ただし旧道の位置で現在の場所ではない
1889年(明治22年)4月 :甲武鉄道開通 単線
  当初 甲武鉄道は山手線の外側(西側)
1904年(明治37年)頃 :品川線 複線化
1906年(明治39年) :甲武鉄道 新宿-大久保間 複線化に伴い
 新宿駅の拡張工事(駅舎は甲州街道側に)
 甲武鉄道、日本鉄道が国有化される
1906年(明治39年)頃  旧青梅街道脇に跨線橋(人道橋)が造られる
 明治期末か?
    年代 未確認
現在の位置に 初代の架道橋が造られる
1921年(大正10年)の地図にはハッキリと架道橋がある
1916年(大正5年) :山手線の複々線化 開始
1925年(大正14年)までに :山手線 複々線化完了 (山手線と貨物線)
1925年(大正14年) :東口に三代目の新宿駅舎完成。構内地下道
1928年(昭和3年) :中央線 新宿-中野間 複々線化
 ? 年 :線を追加
1968年(昭和43年)頃 青梅街道の拡張 (新大久保側)
1969年(昭和44年)6月 埼京線部分 3本の桁の掛け替え竣工

終戦後まもない 1947年(昭和22年) の様子
国土地理院、撮影は米軍
この時の道幅は今よりも狭く、ガードも新宿駅寄りの2スパンだったと思われる。
中央線は1933年にすでに複々線化されており、架道橋の線数は現在と同じ9本。 山手線外回りと、機関車が牽く貨物が通過中。
西武新宿線はまだ高田馬場始発で、西武新宿駅は1952年(昭27年)から。

周辺の情景
内側より 新宿プリンス 外側 思い出横町南口
左下に 大ガード 手前右側が 大ガード
歌舞伎町の入口

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