山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

新宿 → 新大久保
6. 第一大久保 架道橋
職安通りを跨ぐ比較的大きなガードで、ガード下の高さを確保するために、半地下となっている。
山手線開通当初(品川線)は 踏切であった。

全 景 (山手線 内側より、2009年11月)
両端の道に歩道があり、さらに低く掘り下げられた中央の道は車両専用である。
奥の架道橋は「中央線」複々線。

山手線の内側から

左端に一部分が見えている建物がハローワーク
「公共定所」で、通り名称の由来となった。
遠くからはガード下道路の最下部が見えない。

ガードの一番手前の部分は西武線で、コンクリート製の桁である。
山手線の外側(中央線のさらに西側より) 山手線の外側

山手環状線から二股にわかれた中央線の架道橋だが、すぐ手前に歩道橋があって見にくい。
はるか遠くに第一大久保架道橋が見える。

山手線はここから 新宿方向の「3.淀橋跨線 線路橋」に向けて、上り勾配となっている。

新宿側 側道 新大久保側 側道

直交する道路からは直接本道にははいれず、側道経由となっている。当然ここは 右折禁止。
歩道は側道内にのみ 付いている。

こちらも一方通行で車が通るが、新宿側にはある「高さ制限」の表示がない。
参考 : 西武新宿線の架道橋 下路プレートガーダ 閉床式

PCコンクリート I 型の桁を、少し隙間を空けて並べ、現場打ちの小梁で繋いでいるようだ

すべて 単線2主桁で、計4本
新大久保側の側道内部 埼京線部分橋桁の塗装履歴 と 銘板

奥の低い部分が西武新宿線。
手前、山手線の天井高さ(道床レベル)が高くなっているのは、新宿寄りの中央線跨線橋(仮称)に向けて、登りが始まっているため。

落下防止プレートは、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災後に取り付けられたもの。
埼京線部分橋桁の 銘板
このように 分かり易い形で見えるとありがたい。

「WTG 817-3」は、W:溶接桁、TG:下路プレートガーダ、8:荷重の基準 KS18 による設計、17:支間 17m、3: 4本ある同型の桁の3つ目 を表している。


位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
    新宿駅         新宿通り                      新大久保駅
第一大久保 架道橋 データ
位 置: 新宿区百人町一丁目
品川より 11K 540M 42
管理番号: 山手線 ( 21 )
通りの名称: 職安通り
線路の数: 合計 6本
ただし橋桁は、2本ずつ 3つに分かれている
山手線 2本、埼京線 2本、西武線 2本
支 間: 17m70 (中央鉄骨桁 部分)
空 頭: 中央の車道部分:5m81
新宿側側道:4m59 (制限高さ 4.0 m)
新大久保側側道:3m68 (制限高さ 表示なし)
竣工年: 山手線部分の橋台:1973年(昭和48年)6月
埼京線部分の橋桁:1976年(昭和51年)

このことから、埼京線部分の工事が後で、その竣工は1976年または1977年であることが想像される。
備 考:

 
「大久保」の名が付く架道橋は4つある。
いずれも複々線化の時期、大正時代の終わり頃に高架化されたと思われるが、竣工時期が確定できていないものが多い。

鉄骨の塗装年月:1989年2月
名前の由来: 付近の旧町名「おおくぼ」による。
架道橋の所在地は西大久保村であった。
現在の住居表示は、ここの東側、東大久保村あたりが「新宿区大久保」となっている。
地名の由来:

明治13年測量の地図
大久保の地名は「大きな窪地」に由来する。

ここは全体としては、神田川に向けた緩やかな北向きの傾斜地であるが、江戸中心方向から西に向かうと窪地に見える。

今の大久保通り(地図 中央)を、飯田橋あるいは神楽坂から牛込を通って坂を上っていく。排気ガスの鉛公害で有名になった「市ヶ谷柳町」で一度下るが、またすぐに上りにかかる。

左の地図の茶色の部分が標高35m以上で、現在の「総務省統計局」の当たりが最高点となり、大久保村一帯が見渡せる。特にすぐ下(西側)には、花園神社あたりが源の「蟹川」が神田川へと流れており、一段と低くなっている。
この下り坂は、現在の新宿七丁目に「椎木坂」、「久佐衛門坂」として名残をとどめている。

そして、行く手はるか前方が、また少し高くなっているために「窪地」に見えるというわけである。
赤い線は、当時の東京市区境
黒い大きな建物が「陸軍戸山学校」で、
跡地は現在の「国立国際医療センター」



終戦後まもない1947年(昭和22年)の様子
国土地理院、撮影は米軍 / データサイズ: 400×298 ピクセル

周辺の情景
西武新宿駅 ヨン様が微笑む店

駅の先頭は架道橋のすぐ近く

新大久保に始まる韓国の店が、ここまで進出してきている。
ハローワーク
旧 第3スカイビル (ニュースカイビル)
山手線からは かなり離れますが・・・・
設計:渡邊洋治(1923-1983)。通称 軍艦マンション。
エレベータが中央奥に配置され、中廊下は 横尾忠則が喜びそうな 「Y字路」となっている。

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