山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −


新 大 久 保 駅
開業 : 1914年(大正3年)
  品川線開業 1885年の 29年後
  品川-池袋-田端間では最も遅い開業である
  「○△駅」の始まり
大久保駅の開業は 1895年(明治28年)
ホーム南端 改札口

新大久保側の改札口はひつとだけ
新宿寄りのホームの幅は 約 3mしかない

大久保通りに面した改札口
多くの駅で発車の合図に「メロディ」を流しているが、新大久保駅は 「ベル」である。
車掌ばかりでなく 運転手にも女性が増え、山手線に女性駅長まで登場した。 好ましいことだ。


開業当時の大久保駅は複線で高架ではなく、しかも 今の駅舎とは通りを挟んで向かい側にあった。  付近の道路とはすべて平面交差である。

1921年(大正10年)修正の地図
    現 職安通り             大久保通り

1928年(昭和3年)修正の地図
1924年(大正13年)の複々線化に伴って、線路を高架にして道路の立体交差化が行われ、電車線の新駅舎が建設された。

 
古レールによるホームの屋根

その新しいホームの6両編成時代の部分に、合計 24本が残っている。
 
 山型屋根 基本は一本柱

  建 築 年 : 1924年(大正13年)の複々線化時 または その少し前。
  柱 の 数 : 1本柱 : 21本、 2本柱 : 3本
  柱 間 隔 : 約 4.5 m (5ヤード)、 桁つなぎ : アングル・ブレース
  棟 高 さ : 未測定、約 3.4 m。 それほど高くない
  屋  根 : 緩い傾斜の山型、波形スレート、 母屋 : 木製

柱スパンは約 4.5 m なので 5ヤードだと思われる。
鉄道でメートルが採用されたのは、1930年(昭和5年)4月からである。

新大久保駅は、転落事故を知らせる警報機設置のきっかけとなる事故が起きた駅である。

二本柱 一本柱のディテール

途中に階段はなかったはずなので、ホーム事務室でもあった場所なのだろうか。

ひとつ奥の柱は 4本のレールで補強されている。
使われている レールのサイズは、今よりも小さい 30kg/m である。

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