山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

3. 第一戸塚 架道橋
「諏訪通り」(都道補助74号線)の拡張工事中。
ここは、大久保の北向きの台地が神田川に向かって、一気に下り始める位置である。
全景 山手線内側より
架道橋上で行き交う 山手線。
手前2本は西武新宿線だが、今回の架道橋の工事は一体である。
ビルの前に並んでいる「つい立」に挟まれた部分が、旧架道橋の道路。

閉鎖された 旧架道橋 山手線の外側 工事前の様子 山手線の外側

新しい架道橋の一部が完成したため、2009年9月17日に閉鎖された。

最終的には、ここが 上り(東行き)の道路となると思われる。

手前の道路も細かったため、右手 新大久保から山手線沿いに来る道が「優先」で、手前からは「一時停止」であった。
写真提供 : 「だから東京が好き!」キヨちゃん
撮影は 2003年8月
旧架道橋 4主桁のトラフガーダ 電車から見た 旧架道橋
見える範囲では、4本の線路のどの桁にも 銘板は付いていなかった。
細かい部材を組み合わせて作られているところから、同じ「トラフガータ」形式ではあるが、第二大久保架道橋よりも古いような気がする。 もうすぐ取り壊される。

 
山手線 内側 (2009年12月)

以前はこの交差点から、それほど下ってはいなかったが、コンクリート(恐らく現場打ち)でスパンが大きい事と、ガード下の寸法を大きく取るために、急坂でくぐり抜けることになった。

ようやく 3分の1ができたところ。
山手線 外側

外側は地形が高くなっているせいで、やはり急坂である。 将来は計6車線か。

現在はここで対面通行をしているが、将来、旧架道橋部分に上り(東行き)車線が完成すれば、下り専用となる。制限高さは ようやく 3.1m。


架道橋 内部 高さ制限の表示をしている 衝突防止バー

化粧板が張られてきれいに仕上がった天井。

極めて頑丈な作りの衝突防止装置。
下り坂でスピードが出がちなためであろう。

継続工事中 山手線の内側から
あと2車線は? と覗いてみると、なんと ものすごい深さ!
てっきり ここが上り(東行き)車線だと思っていたので、レベルの違いにビックリした。 実は 手前にある環状線(山手線と平行している道)との立体交差だった。
立体交差 入口 山手線の内側
高いビルのあるところが、通過する交差点である。
道が上りになっているので、早い位置から水平にトンネルに向かう。

諏訪通りの 拡張
小滝橋         山手線         明治通り            馬場下
この航空写真は 1963年(昭和38年)頃のものである。
上に曲線を描いているのが 早稲田通り。

すでに、小滝橋から山手線に向かって、団地に沿った部分の拡張が済んでいる。
この後、馬場下から明治通りまで、学習院女子部に沿った部分が完成。
次に明治通りから山手線の手前までは、1975年(昭和50年)ぐらいまでには終わっていたが、最後の 5・600m に30年以上を費やした。

この道路の完成で、当分拡張される見込みのない?「早稲田通り」の混雑が緩和されることになる。

それはいいとして、こんな大がかりな「立体交差」まで必要か?
 
山手線の外側 (西側)は まだ 土のまま。 完成は当分先の事である。


位 置 (戦後の様子)
1948年(昭和23年)6月の空中写真/国土地理院

新大久保
                                              高田馬場駅
第一戸塚 架道橋 データ
位 置: 新宿区大久保二丁目 (〜高田馬場4丁目)
 品川より 12K 889M 27
管理番号: 山手線 ( 25 )
通りの名称: 諏訪通り
線路の数: 4本
山手線、埼京線・湘南新宿ライン (共用)
支 間: (旧架道橋 16 m 70)
空 頭: 新架道橋 : ( 制限高さ 3.1 m )
竣工年: 旧架道橋 : 不明
新架道橋の部分竣工 : 2009年
備 考: 交通博物館編 『駅の歴史』にある「日本鉄道会社線路縦断面図」(1894年当時)には踏切の記載がない。
しかし、その「平面図」には道路が山手線と交差しているので、当初より「踏切」はあったものと思われる。

山手線の複々線化に伴って立体交差が図られた
名前の由来: 開通当時の地名、南豊島郡戸塚村 による。
地名の由来:
諸説ある中で、私の第一候補は 「富塚」→「戸塚」説である。

早稲田の馬場下町「穴八幡宮」の向かい側、今は早稲田大学構内で、9号館(共通教室)が建っているあたりに、「富 (とみ)塚」という円形の塚があった。

トミヅカ」 が短縮されて 「トツカ」 になった。

左の古地図は 1878年(明治11年)に当時の地理局が作成した『實測東京全図』である。
一部は宝泉寺にかかってしまっているが、はっきりと丸い形が見て取れる。
復刻古地図『實測東京全図』/人文社 より
(掲載許可 申請中)
この塚の上に、941年(天慶四年)に稲荷大神が勧請され、
「富塚稲荷」と呼ばれていたが、江戸の中期に境内から霊水が湧き、眼病に効くと評判を呼んだことから「水稲荷」と呼ばれるようになった。
参考:新宿区のホームページ
水稲荷神社は、近くの甘泉園の一角に移転している。

1963年(昭和38年)頃 移転直前の水稲荷神社 (中央部)
     穴八幡宮       馬場下町交差点


周辺の情景
都立 戸山公園
左に 新宿区立総合体育館。
高層ビルは 早稲田大学理工学部。竣工:1967年(昭和42年)、 設計:安藤勝男

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