山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

4. 第二戸塚 架道橋
高田馬場駅の改札口 「戸山口」があるが、架道橋は完全にホームの手前なので、新大久保側の最後に取り上げる。

全景 山手線内側 西武線ホームより
右側は、高田馬場駅を発車した 山手線内回り電車。
ガード内にある改札口から、階段を上ってホームに出る。
右下隅に、西武新宿線高田馬場駅のホームが写っている。
 
高田馬場ホームの南端から
発車した内回り電車を見送る。 
写真中央部に架道橋がある。 外回り部分のレールは写っていない。
埼京線上り部分には、掛け替え用のレールが2本置いてある。

山手線の内側 階段 と スロープ

手前は西武新宿線 高田の馬場駅のホーム。

内側の方が道路のレベルが高いので、階段とスロープで降りている。

自転車は押して通ること!
道路から 通路を見る

車は通れないが、大きく制限高さが表示されている。奥へ行くと低くなっているためである。
 
山手線の外側 から 駅の改札口は山手線の外側に近い

左に細い坂道、線路沿いの道はここの右隣。

歩行者専用の標識がある。
ガード下の 戸山口

この部分は線路下の構築物であり、名称は「高田馬場A口高架橋」。ちゃんと 古いラベルが残っている。

架道橋 内部 改札口を出た正面

山手線はともかく、埼京線の場合はすぐ上を電車がフルスピードで通過するので、音がすごい。

上部に見える2本の線が桁の下端である。

桁 と 枕木
桁の上端



雨樋



桁の下端
スパンは4m足らずなので 桁の高さは40cm弱。
網の向こうに見えている桁の上端に、直接枕木を乗せている。
枕木は「木」ではなく 「合成樹脂」のようだ。


位 置 (戦後の様子)
1948年(昭和23年)6月の空中写真/国土地理院


新大久保
                                              高田馬場駅
第二戸塚 架道橋 データ
位 置: 高田馬場一丁目 (〜高田馬場4丁目)
 品川より 13K 127M
管理番号: 山手線 ( 26 )
通りの名称: ( 高田馬場駅 戸山口 通路)
線路の数: 4本
山手線、埼京線・湘南新宿ライン (共用)
支 間: ( 通路幅 約 3.6 m )
空 頭: ( 制限高さ 3.1 m )
竣工年: 不明
品川線開通当初は道が無く、架道橋が作られたのは1924年(大正13年)の複々線化の時である。
備 考:
名前の由来: 第一戸塚架道橋の次に位置するため
地名の由来は、第一戸塚架道橋 参照


終戦後まもない 1948年(昭和23年) の様子
国土地理院、撮影は米軍
右上の「早稲田通り」を入れるために、架道橋の位置は下側とした。

高田馬場駅の跨線橋でつながった右側が、西武線の高田馬場駅 終点で、その線路が終わったところに道があり、架道橋が見える。
この時は 改札口は無い。


周辺の情景
自転車置き場 と ラーメン 激戦区
最近多くなってきた「登録制有料自転車置き場」。ここもそうである。
「放置」自転車は困りものだが、事前登録制だと「ちょっと」置けないので困る。
無料にすると、たちまち溢れてしまうのであろう。

山手線内側には「点字図書館」があるために、高田馬場駅は目が不自由な方の利用も多い。 点字ブロックの上に置くなどはもっての外 である。
「そば」や「ラーメン」は出店のコストが低いこともあって、特にラーメン屋は集まり出すと次々に新しい店ができる。
そして、何かのきっかけで流行り出すと、食事時間でなくても行列ができる。

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