山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 目白 → 池袋
- 架道橋 (ガード) ・跨線橋 -

1. 目 白 橋
めじろばし。「陸橋」のことを 「跨線道路橋」という言い方もあるが、ほとんど使われない。

全景 池袋側 より
片側は目白駅に面しているため、欄干があるのは北側だけ。両側共に歩道が広く取られた。駅前がバス停となっている。

橋とは関係がない話で恐縮だが・・・・、
写真左側に横断地下道の入口がある。ここは以前 歩道橋があった所で、それに代わるものとして作られたようだ。しかし右に見える横断歩道のほかにも、写真の左に少し行ったところに信号と横断歩道があり、地下道を利用する人は極めて少ない・・・。
2002年8月に完成した地下通路は橋とは別構造で、区の施設である。この立派な出入り口が 3箇所。ほかに「地下駐輪場」への入口が2箇所。 地下道のこの広さ!
場所がないので地下に駐輪場を作るのは仕方ないとしても、過大な施設には呆れる。

山手線の外側 より
橋台はコンクリート打ち放し。奥は学習院の森。

親柱 と 欄干

こらずに すっきりしたデザイン。

地下横断通路の出入り口にある。

目白橋の照明 目白駅前の照明

旧目白橋 高欄 の 説明板
広場の一角に 東京都第四建設事務所が立てた説明板がある。
大正期の旧目白橋の欄干が、モダンなデザインで「近代遺産」として貴重な物だという主旨である。
ここに目白橋の架橋年や駅の更新の事が記載されているが、少々腑に落ちない点もある。駅の歴史で参考にした平岡厚子氏による『目白駅駅舎の変遷に関する考察』そのほかを元に、架橋の歴史を振り返る。

1885(明治18)年3月 :日本鉄道 品川線 品川-赤羽間 および目白駅開業
 初代 ■初代の木製の橋「清戸道人道橋」が架けられた
鉄道の「掘割り」ができる前の清戸道には橋はなく、鉄道を通すに当たって、嵩上げされた新しい道が作られた。
橋長24尺(約 7.3m)。駅舎はホームと同じ低い位置で、同じく新しく作られた下の道経由で駅に向かった。東側の道は踏切を渡っていた。
1902(明治35)年 :目白駅の線路勾配が緩くなるように改良
  10/1000 → 3.3/1000
1903(明治36)年 :目白 - 池袋間 複線化
 二代目 ■二代目の木造橋
複線化に伴って橋も架け替えられ、二代目の木造の橋となった。名称は「清戸道人道橋」のまま。
土台および欄干は檜、柱は杉、その他は総て松材。
橋台は間知石、橋脚はコンクリート基礎の上にレンガ敷き。橋幅15尺(約4.5m)、橋長74尺(約22.4m)。
鉄道関係史料Ⅰ/豊島区郷土資料館/2006 より
筆者注) 池袋-田端間の建設では始めから複線を確保していたが、品川線の陸橋は当初単線分しかなかったようだ。
名称は「人道橋」だが、当然 車両も通ったと思われる。
1922(大正11)年 夏 :目白通りから出入りする 橋上の駅舎が完成
1923(大正12)年 ■目白橋 架橋
 三代目 複々線化に伴ってコンクリート製の橋が建設される。
三代目 目白橋
右奥に見えるのが目白橋で、線路は右から構内引上げ線、山手貨物2線、山手線内回り。外回りはホームの左側。

1923(大正12)年9月1日関東大震災
初代 橋上駅舎 1923(大正12)年11月2日

提供:日本女子大学 成瀬記念館 掲載許可取得済み
震災後2ヶ月の写真で、左側に目白橋の高欄が写っている。
外回りの線路が駅舎の下をくぐっているが、駅舎は線路敷全体の約半分しかなか無く、前掲写真のように、学習院側には南側(高田馬場側)にも高欄があった。橋と駅舎の間にスペースがあったため、高欄は駅の手前で直角に曲がっていた(下図部分)。
新目白橋 南側の高欄

1929(昭和4)年第3回修正 / 大日本陸地測量部 / 国土地理院 を修正・加筆

1924(大正13)年9月 :新大久保 - 池袋間 複々線化
1928(昭和3)年2月 :駅舎改築工事 着工
 同 年   8月
:第二代橋上駅 竣工
1928年の2項は『目白駅舎の変遷/平岡』にある『目白駅史』による。
二代目 橋上駅舎

1929(昭和4)年頃 / 豊島区の掲示板より / 元の写真は個人蔵
わずか6年で改築された駅舎は幅が広がり、目白橋は見えなくなった。駅舎が全面的に目白橋に面することになったので、既存の南側の高欄は出入りの障害になるために撤去された(・・・点滅)。北側の高欄はそのまま使用された。
撤去された 南側の高欄

1937(昭和12)年第4回修正 / 大日本陸地測量部 / 国土地理院 を修正・加筆


1998年(平成10年) 旧目白橋の高欄撤去(都の説明板による)
2000年(平成12年)
 四代目
新目白橋 竣工。新目白駅舎完成
長い間使われた二代目の橋上駅舎だったが、その建て替えに伴って目白橋も架け直された。北側高欄の一部は、駅前の道路際に保存されている。
保存されている 近代遺産


目白橋 データ

位 置: 豊島区目白三丁目(~目白一丁目)
管理番号:  -
道の名称: 目白通り
線路の数: 4線
山手線、埼京線・湘南新宿ライン
支 間:
竣工年: 現在の橋:2000(平成12)年10月
三代目 :1923(大正12)年
二代目 :1903(明治36)年、木造
初代 : 1885(明治18)年、木造
備 考: 初代は品川線開通時
名前の由来: 目白駅前で通りの名前も目白通りであるところから。
目白」の由来は「目白駅」の項を参照のこと。


周辺の情景
掘割りの線路敷き (山手線の内側から)
左に一部見えるのが目白橋。
手前には植栽されている土手があるが、向かい側はほぼ垂直な石垣である。掘り割り部分の複線化は、それまで法面だった部分を石垣にすることによってスペースを生み出せるので、新たな用地買収は少なくて済んだ。 
橋の上から 北を見る
2010.1.6
遠くの煙突は 池袋の豊島清掃工場。
トラスだった架線用のビームが、順次「鋼管」製に交換されている。

学習院 正門 学習院 西門
学習院は1908(明治41)年に移転してきた。目白駅からすぐの西門はもともと無かったが、2002年に少し先の正門と同じデザインで設置され、目白通りの歩道を歩く学生の数が少なくなった。正門の方は、赤煉瓦に木製の扉である。

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