山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋 | |
池 袋 → 大 塚 |
9. 西 巣 鴨 橋 |
2010年2月 掲載 2020年12月 改定、現在 橋は撤去工事中 撤去の工事手順を掲載 2021年4月 撤去工事の写真を追加 |
にしすがもはし。 豊島線開通当初の山手線(現在の湘南新宿ライン)では踏切で、複々線化された電車線に陸橋ができた。 戦後の道路の拡張で、区道としては画期的?な 1959(昭和34)年という早い時期に、立体交差化が行われた。その2代目コンクリート橋は築後60年を越え、架け替えの時を迎えた。 |
巣鴨橋 かつての姿 |
豊島区道路整備課の資料より、撮影日不明 |
2018(平成30)年9月に行われた「西巣鴨橋架け替に伴う工事説明会」配布資料で使われていたもの。グーグルの 3D写真だが、そのままつかわせてもらう。 |
西巣鴨橋は線路上の 約33mだけだが、地面からの高さが高いために「取り付け道路」が長く、▼▼間は約200m。今回の工事もこの範囲で完成は2025(令和7)年の予定であり、6年間以上も通行止めとなる。 |
本項は、以下の構成となっている。 |
■ 西巣鴨橋の歴史 |
■ 二代目西巣鴨橋のかつての姿 |
■ 周辺の情景 (おまけ) |
■ 橋の取り壊し手順 |
■ 三代目の完成予想図 |
■ 西巣鴨橋の歴史 |
1885(明治18)年3月:日本鉄道 品川線、品川 - 赤羽間 開通 |
1903(明治36)年4月:山手線、池袋 - 田端間 開通 (単線) |
池袋・大塚・巣鴨駅 開業 |
地図 A:踏切の名称は (仮称)宮仲 1909(明治42)年 |
1909(明治42)年測図 / 1万分の1 早稲田と王子 / 国土地理院 を合成したものに加筆 |
開通当時の地名は「北豊嶋郡巣鴨村字宮仲」である。施設の名称には地名を採用することが多いため、本踏切(太い○印)の仮称を「第二宮仲踏切」とする。「第二」とする理由は、大塚駅寄りに踏切がもう一つあるためで、天祖神社および都心に近い方を「第一」とした。 なお、「宮仲」は明治以降には新たに付けられた地名である。 |
開通時の踏切の位置は、現在の西巣鴨橋から少し離れていた。 |
1910(明治43)年4月:池袋 - 田端間 複線化 |
地図 B:踏切の位置 1916(大正5)年 |
1万分の1 早稲田 1916(大正5)年 第1回修正測図 / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 / に加筆 |
複線化後の状態。 ・・・・が後の補助174号道路で、○が西巣鴨橋の位置となる。踏切▲は池袋寄りにあった。なお、「第一踏切」としたもうひとつの踏切▼は、現在の栄橋と空蝉橋の間にあったもので、その後別の位置に栄橋が架けられ、踏切は廃止された。 |
現在の地図と写真にプロットしてみると、以下のようになる。 |
地図C:踏切があった 場所 |
国土地理院地図 に加筆 |
開通当時の地形は ほぼ平らだったため、記入した点線は空中を通っていることになる。 |
1923(大正12)年9月:関東大震災 |
1924(大正13)年12月:池袋 - 巣鴨間 複々線化 |
1925(大正14)年3月 :山手線 環状運転 開始 |
地図 D:複々線化で踏切の位置が変わる 1929(昭和4)年 |
1万分の1 早稲田 1929(昭和4)年 第3回修正測図 / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 / に加筆 |
複々線化された電車線は、可能な限り踏切をなくすために掘割で通され、山手線は陸橋をくぐることになった。貨物線はそのままなので、数カ所の道路が「踏切+陸橋」となった。 |
陸橋と踏切をともに線路に垂直に架けるために、初代の踏切○は廃止され、山手線の内側(地図の下側)では隣の道路に繋がれた▲。陸橋の仮称を西巣鴨橋としたが、複々線化時の地名は「北豊嶋郡西巣鴨町大字巣鴨字宮仲」のままだったため、この橋名(仮名)は自信が持てない。「宮仲」の名は隣の橋(池袋寄り)で使われている。 |
地図Dの三種類の点線は後に通される区道だが、現在の宮仲公園○とともに既存の道路の拡張ではなく、街区を完全に無視した位置に造られたことがわかる。 |
1932(昭和7)年:豊島区が発足 |
それまでの巣鴨町・西巣鴨町・高田町・長崎町が北豊島郡から東京市となり、豊島区が誕生した。そして「宮仲」がそっくり「西巣鴨二丁目」となった。 以後、1959(昭和34)年の架け替えまで、35年間にわたってこの状態が続く。 |
写真E:終戦直後の様子 1947(昭和22)年8月 |
1947(昭和22)年8月8日 米軍撮影 / 国土地理院 に加筆 |
人道橋だった初代西巣鴨橋:地図Dと同じスケール。ほかの3つの陸橋と比べて幅が狭く、車は通れない人道橋だった。 |
谷端川は1934(昭和9)年までに暗渠化され、その後癌研通り(現在の宮仲公園通り)が整備されている。西巣鴨橋を通る補助174号道路(・・・・)も、戦前に一部の整備が進んでいる。 |
1959(昭和34)年:コンクリート造の2代目西巣鴨橋開通 |
写真F:大規模な陸橋の完成 1963(昭和38)年6月 |
トップに掲げた写真のような、長いアプローチを持つ跨線陸橋の完成に伴って、補助174号道路も開通している。またもや少し離れた位置に造られた。▼▲が 元の踏切・陸橋の位置。 |
2018(平成30)年11月〜2022(令和4)年3月:撤去工事(予定) 2022(令和4)年4月〜2025(令和7)年3月:新設工事(予定) |
■ かつての西巣鴨橋の姿 |
撮影は主に 2010(平成22)年。 |
遠 景 (池袋側 宮仲橋から) |
くぐるのは 山手線 と 湘南新宿ライン(右側)。 今は同じ軌道レベルだが、当初の山手線(現在の湘南新宿ライン)が作られた時は 5mほど高く、ほぼ地面と同じ高さだった。 左側に新しくできた新山手線部分は、踏切を少なくするために初めから切取り(掘割り)とされ、初代の陸橋が架けられた。 |
全 景 (山手線の内側、大塚側から) |
橋の水平部分には両側に歩道がある。歩行者用の階段は画面にはいりきらず、写っていない。 |
近 景 池袋側より |
湘南新宿ラインの右側の擁壁は新しいもので、工事前のレベルは電車一つ分高く、橋の下ギリギリを通っていた。 次の写真は 当時、架線を吊る金物が取り付けられていた跡である。 |
架線を吊っていた 昔の痕跡 |
山手線の内側からの遠望 |
自転車でも漕いで上れるぐらいの傾斜である。 |
山手線の内側のスロープ |
本来スロープ部分は車と軽車両用で、歩行者は左奥に見える階段を使うことになっている。でも、なかなかそのとおりには・・・。 |
山手線の内側のスロープ | 歩行者用階段は全部で4カ所 |
線路近くにある道のために、橋の下をくぐる通路もある。 |
コンクリートPC桁 |
この落書きは 2009年の暮れに書かれた。 |
親 柱 | |
下り勾配の湘南新宿ライン 大塚 → 池袋 |
路盤変更(踏切の立体交差化)工事の結果: |
この区間 山手線は水平だが、湘南新宿ライン(左側)は上りかけたあと 下っており、電車と西巣鴨橋との間に大きな空間ができている。立体交差工事以前は、西巣鴨橋の下をかすめた後もそのまま上り続けていたので、宮仲橋や堀之内橋では「踏切」となっていた。 |
次回に西巣鴨橋を架け替える時は 4m以上低くできるわけだが、巨大なスロープも作り直さなければならない。 アプローチ道路の方が橋そのもののよりは寿命が長そうなので、とりあえずは桁だけ取り替える方が、工期もコストも有利でだろう。 |
と予想していたが、やはり全体を取り壊して架け直すことになった。高さも、わずか 1.5mしか低くならない。 |
解体工事中 |
2021.4.8 |
緑色の長い桁は 搬出用の仮設構造物。道路は6年間ほど通行止めとなっている。 |
位 置 (終戦後の様子) |
1948(昭和23)年の空中写真 / 国土地理院 |
池袋駅 旧東京拘置所 大塚駅 |
■ 西巣鴨橋 データ | |||
位 置: | 豊島区上池袋一丁目〜東池袋二丁目 | ||
管理番号: | − | ||
道路名: | 西巣鴨橋通り:旧癌研通りと サンシャインを結ぶ区道 | ||
橋 長: | 33.10 m | ||
幅 員: | 12.26 m | ||
歴 史: | 山手線ができた当初は踏切が設けられた。 | ||
竣工年: | 初代:1924年(大正13年) 山手線の複々線化時。人道跨線橋。 2代目:1959年(昭和34年) 現在取り壊し工事中 |
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跨ぐ線路: | 4本: | ||
山手線、湘南新宿ライン | |||
備 考: | 道路名は後から付けられたもの | ||
周辺の情景 |
残った路地 | |
西巣鴨橋のすぐ脇、山手線の外側に残った路地。 拡張道路ができる前の 旧道で、突き当たりが線路。そこに小さな跨線橋があった、はずである。 |
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橋台の痕跡は ナシ | |
向かい側から見た写真。 ▼が跨線橋のあった場所、右が西巣鴨橋。50年前の痕跡はまったくなかった。この石垣が改修されたのか? 北口商栄会のホームページによると、当時の橋は人道橋で「ダンダン橋」と呼ばれていたそうだ。山手線の外側のレベルが少し低いために、水平に渡した最後の部分が何段かの階段で上り下りしていたのかも知れない。 |
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千代田湯 | |
2010.1.16 撮影 |
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付近には銭湯が多く、1キロ四方に4軒もあったが、千代田湯はとうに廃業し、今は更地となっている。 | |
銭湯が多かったのは木賃アパートが多かった名残だろう。 取り壊す住宅が多いために「薪」の置き場に困るほど集まったそうだ。もちろん無料で引き取ってくるのだが、新しい家ができるとさらに銭湯の利用客が少なくなって、経営は苦しかった。 |
電鋸で柱を切るご主人、 「豊島区なのに なぜ千代田湯なんですか?」 「むかし、千代田生命の代理店をしてました・・・。」 創業 1950(昭和25)年、廃業は 2018年頃だったろうか。 |
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山手線とは まったく関係ないが・・・・。 旧 千代田生命本社ビルは 今、目黒区役所となっている。 |
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当時の 千代田生命本社ビル | |
1971年 撮影 |
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設計:村野藤吾、 竣工:1966(昭和41)年。 外装にはアルミの鋳物「アルキャスト」が使われている。 |
■ 橋の解体手順 |
豊島区の広報資料を使って、取り壊す方法を紹介する。 取付道路はただ壊せばよいが、山手線を営業しながら、橋本体をいかにして取り除くのか? 上野東京ラインの架橋時ほどの規模ではないが、長い仮設の桁が準備されている。 |
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・ | 表面の舗装と 内部の土を撤去する |
・ | コンクリート擁壁を撤去する |
ワイヤソーで縦に切断し、さらに細分化して搬出する |
ワイヤソーによる切断の例 |
床に穴▼を開け、表面にダイヤモンドを埋め込んだワイヤを、点滅する点線のように通して回転させる。カットした後には、左側のような円形の模様が残る。その中心方向は、ワイヤを回転させるメインプーリー(駆動装置)の位置に向かう。 |
今回は縦に切断 |
橋の長手方向、線路に直行方向に切断した。路盤を支えていたスラブの厚さが、薄く見える。 |
・ | 基礎を撤去する |
ワイヤソーに加えて、「コア抜き装置」を使ってコンクリートを分割しながら搬出する。 いずれも、騒音や振動を最小限にするためで、破砕機を使う場合に比べて時間と費用が掛かる。 |
ワイヤソーで切断 | 連続コア抜きで分割 |
撤去されたアプローチ部分(北側) |
2020.5.21 |
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・ | 搬出用の設備を設置する |
橋を分割して吊り上げ、搬出作業を行う場所まで運び出すための、大掛かりな桁を設置する。 2020年11月末の時点では、その桁の設置工事中。 |
橋の上で、2本一組の桁を組み立てている状態。 |
2本一組の桁の上面には、走行装置のためのレールが、それぞれ2本設けられている。 |
・ | 釣り足場を設置した後、橋げたを切断 |
線路敷への破片の落下防止と作業のために足場を吊り下げ、ワイヤソーで橋げたを8分割する。元々がT型のプレキャストコンクリートで構成された桁であるため、切断しても崩壊することはない。その後、釣り足場は撤去する。 |
・ | 搬送装置で橋げたを吊り上げる |
まず中央の一つに治具をセットし、走行装置のロッドを使って吊り上げる。 |
・ | 搬送装置で引き出す |
搬送装置は4本の走行レールを使って移動し、南側の解体作業場に桁を下す。これらは終電〜始発の操作となる。 |
撤去が進んだ橋桁 |
2021.4.8 |
搬出が進み、8分割のうち残り2本となった。 |
・ | さらに10個に細分割して、ダンプカーで搬出する |
解体・搬出作業は昼間に行われる。 |
搬出作業 |
搬出準備が完了したカットピース。 ダンプカーの到着待ち。 |
・ | 上記の手順で、残りの桁を順次搬出する |
中央以外の桁は、橋台付近に設置した器機(横取り装置・上図は概念図)を使って、中央まで移動してから吊り上げる。これを繰り返して、橋の本体を撤去する。 | |
横取り装置 | |
吊り下げ用の治具をセットしてからジャッキアップし、油圧装置で横移動させているようだ。 |
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・ | 桁の搬出用設備を解体する |
設備の解体方法も興味あるところだが、具体的な方法はわからない。長い「片持ち(カンチレバー)状態」がクリアできるのなら、端から順に解体できるのだが。 |
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・ | 橋台の地上部分を撤去する |
これもワイヤソーを使って、騒音が出ないように解体するはず。地中の基礎部分は残置し、山手線側(北側)では擁壁として利用する。 |
■ 完成予想図 |
これも豊島区の広報資料によるもの。 |
縦断面図 |
鋼製で4点支持の長い桁となる。多数の桁で構成されるものと思われる。図面によると、およその支間距離は、中央が50m、側径間は32mで、橋長は117mとなっている。 |
既存の橋とは1.5mしか低くなっておらず、湘南新宿ラインの電車の建築限界制限からは約1.3mの余裕がある。 思ったより低くならないのは、線路敷上部で塗装工事を行う必要があること、線路際で橋をくぐる車道(黄緑色)と歩道(緑色)の桁下寸法を確保するためだろう。 |
線路を跨ぐ 新西巣鴨橋の完成予想図 |
大塚側から見た姿。階段があるのが東側(北大塚三丁目)。 |
取付道路の完成予想図 |
直線の南側。以前の状態から改善され、橋全体に歩道と自転車レーンがつく。斜度(勾配)は8%から5%になる。 |
竣工予定は 2025(令和7)年。 |
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