山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 | 駒込 → 田端 |
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − |
駒 込 駅 |
1903(明治36)年 山手線の池袋-田端間(旧名称豊島線)の開通から遅れること7年、ここがが複線となった 1910(明治43)年11月15日に開業。その時の線路は現在の湘南新宿ラインで、改札口は山手線の内側の平地にあったと思われる。 |
さらに15年後に複々線化された1925(大正14)年3月、現在のホームの利用が開始された。駅舎は現在の位置に移り、階段でホームに下りる今の形になった。 |
詳しくは、次の「駒込駅の歴史」の項で考察する。 |
2006年に 新駅舎が完成した。 |
全 景 (巣鴨駅側から) |
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手前が 山手線を跨ぐ駒込橋。 山手線の内側から跨線橋が架けられているスタイルは、巣鴨駅と同じである。 |
シンプルな駅舎のデザインに好感が持てる。カーブして上に突き出た部分は、階段・エスカレータ上部の吹き抜けで、機能一点張りではない 商業施設としての性格を出している。 |
以前の駅舎:1957(昭和32)年竣工 | 現在の姿 | |
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駒込橋 跨線橋+駅舎 南北線入口 |
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写真提供:「だから東京が好き!」キヨちゃん |
山手線の内外に2カ所あった改札は ひとつにまとめられ、跨線橋は自由通路となった。 |
ホーム巣鴨寄りの階段 | その手前のエスカレータ |
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評判の ツツジの植え込み |
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工事に伴う植え替え | 駒込駅前郵便局 |
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![]() ホームが描かれた風景印は 少ないとか。 |
駅名 「妙 義」 の由来 |
駒込駅の開業当初の名前は「妙義駅」だった。 (『山手線誕生/中村建治』) 1910(明治43)年4月の 池袋 - 田端間 複線化以前の1月に、妙義駅が開業していたという説があるが、いまひとつ納得できない。 山手線の線路を増やす「複線化」の工事中の状態で、まず駅だけができてしまって開業・・・?。 その年の11月には「駒込駅」に名称変更? 可能性があるとしたら、以下のような事だろうか。 |
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4月に複線化工事が終わった時点で、駅舎の建設工事が完了していなかったため、仮駅として「妙義駅」を付近に開設。 11月になって、正規の駒込駅が開業。 しかし、 『日本国有鉄道百年史/年表』にある「駅名改称一覧」表 には、駒込駅が改称されたことにはなっていない。また、JTBの『停車場変遷大事典』も同様である。 東京駅の仮駅 呉服橋駅が、東京駅の元の名前とは言われていないのと同じであろう。 |
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鉄道のことはやたらと詳しく書かれている Wikipedia にもその記述がないが、まずは「妙義」の由来。 | |
駅前の本郷通りが王子の方向に向かう所が「妙義坂」で、駅は坂上に位置している。駅の所在地は「妙義坂下町」ではなかったようだ。日本鉄道が 何か「妙義」に拘ることがあったのだろうか・・・? | |
坂の名前は付近に「妙義神社」があるために名付けられた。 |
妙義神社 | 駅より奥が妙義坂 |
![]() 坂の途中を左にはいった所にある。 |
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妙義神社の由来: | |
神社で配布している『略由緒』によると、「ここは日本武尊が東征時に陣を構えたところで、651(白雉2)年に社が建てられて、当初は 白鳥社 と号したという。15世紀に太田道灌が戦勝祈願。二度も勝利したので「勝負の神様」として信仰を集めた。豊島区最古の神社」とある。 | |
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『巣鴨区史』によると、「1439(永享11)年、地頭の今井弥平四郎茂義が 駒込妙義社 相殿神明宮を祀る」とある。 | |
この茂義という人は上州の人で、本国の新田神明郷の神明宮を勧請したのが「妙義神社」の縁起ということである。 | |
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地名「駒込」の由来は、巣鴨 - 駒込間の「駒込橋」の項を参照のこと。 |
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