山手線 が 渡る橋・くぐる橋 駒込 → 田端
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番外.2 古レールによるホームの屋根
2010年3月 掲載、2020年9月 改定

6両〜8両編成時代の部分 A および B に、合計26本が残っているが、ホームの建設年と上屋の建築年がずれているので、注意が必要。
駅の歴史については 番外1. を参照のこと。

建物および屋根の建築年

国土地理院 空中写真 CKT20092-C58-6 に加筆
A:1925(大正14)年3月、複々線化に伴う駅舎・ホーム移転
B:1960年頃    8両編成対応 (屋根は後から建築)
C:1968(昭和48)年10月 10両編成対応と東口高架橋 
D:1991(平成3)年6月  11両編成対応       
E:2006(平成18)年12月 新駅舎開業(点線まで改築)
 約125m
約 32m
約 67m
約 17m
数値は屋根の長さ、各年代のホーム本体の長さは不明

ホームの建設年 (使用開始年・建設の初年を記載)



新駅舎の窓から
C:二回目
(トップライトがある)

B:一回目
(短い谷型屋根)

A:6両編成時代
(山型の屋根)



E:2006年の改築
(青の折板屋根)


A部 6両編成時代
建築年:1925(大正14)年 の複々線化時
柱の数:1本柱:13本、2本柱:5本、計 18本が残っている
  西口改築時Eに巣鴨側の一部(9本)が撤去された。
柱間隔:約4.5m(5ヤード)、桁つなぎ : 無し
  柱間隔は約4.5m なので5ヤードだと思われる。
  鉄道でメートルが採用されたのは、1930(昭和5)年4月から。

当初の上屋の総屋根の長さを計算すると 約117m。西口に上る階段
部分も加えて、6両分 約120mに対応していたと思われる。

棟高さ:3.65m。 それほど高くない
屋 根:山型、波形スレート   母屋:木製、レールにボルト止め

基本は 1本柱 部分的に 2本柱

使用開始は1925(大正14)年。

階段や駅事務室部分などは柱が2本(推定)。2006年の改修で、ようやくエレベータやエスカレータが付いた。
母屋材や端部妻壁の内側(次の写真)は木造。屋根はスレート葺きである。一本柱同士をつなぐ桁は無く、木製の棟木をアングルの方杖で止めてある。
A部の田端側端部
A部のレール同士はリベット止めされている。奥が一回目の延長であるB部で、レールは溶接されている。
巣鴨側A部 6両編成部分   田端側B部 8両編成対応部分
それまで山型だった屋根が、谷型に変化。その理由ひとつは 次に・・・・。

B部 8両編成対応部( 一回目の延長 )
建築年:上屋の正確な竣工年は不明、1960(昭和35)年頃
柱の数:すべて 1本柱:8本
 元は40m以上、柱数は11本はあったろう。
 3回目のホームの延長時に、B部の屋根の一部が撤去された。
柱間隔: 約4.5m(5ヤード)、桁つなぎ:同材(レール)
棟高さ:2.5m。 低い
屋 根:緩い傾斜の谷型、波形スレート   母 屋:木製

すべて 1本柱 古レールだが 溶接

屋根の形の違い 木製の母屋

屋根の横材は木製、屋根材もスレートで、増築前と同じ。
手前、初期の山形の屋根の場合は柱がそれほど 高くないので、軒の高さが不十分である。
電車との間がここまで空いているのは、田端側の柱の位置がホームの反対側(山手線の内側)にズレているから。建設当初のホーム端部に東口改札を設けるための処置だったと考えられる。
電車と構築物との距離は、安全のために決められているので、これ以上伸ばせないのだが、乗降時に雨に濡れる・・・・。
奥の部分は軒側を高くした「谷型」で、ホームの端まで屋根が掛かっている。柱は短く抑えられるので、多少ではあるがローコストとなる。
8両編成部分(古レール利用)、10両編成対応部分(鉄骨屋根)


以下は古レールではなく、溶接された鉄骨による上屋

10両編成対応部 (二・三回目の延長)
駒込駅では10両編成用に さらに2両分を延長する前に、予備で1両分を延ばしていた形跡がある。
次の写真では、谷形の一回目の延長部屋根のスレートが汚れて灰色になっているのに対して、9両目として真新しい屋根が作られている。
中里道架道橋との間に駅舎「東口」が設けられいる。

1963年(昭和38年)の空中写真
駒込さつき通り 
6両時代、8両編成部、新しい屋根と駅舎、アザレア通り
現在のホームの鉄骨柱や梁を見ると、2回に分かれているようには見えない。しかし、プラットホームを横から見ると、土盛り形式と高床形式の違いがあるので、二期に分かれて、二・三回目の延長が行われたのがわかる。
10両編成に対応する時、1968年頃に「駒込駅高架橋」が作られたため、C部全部とB部上屋の一部を撤去して作り直したと考えられる。
8両対応    9両目より右はホームの構造が違う↑

階段部分は2本柱 Y 字に溶接された梁

右の2本の柱のうち、手前は 8両編成部分。三回目の延長で階段が作られた。

 
1本柱 部分 屋根はやはりスレート

ホームがだんだん細くなる

10両編成対応の状態
国土交通省『国土画像情報』より/1974年(昭和49年)度撮影
CKT-74-15/C24B-5
中里道架道橋の上までホームが掛かっている。
 
10両編成対応部分       田端側11両編成対応部分
田端寄りのホームは、高架橋や架道橋の上にあたるため、高床式の構造である

11両編成対応部 (四回目の延長)
11両編成用 最後の部分
最後に柱は2本だけで、11両に足りない分だけが延長された。
これまでの屋根材はすべて「スレート」だったが、ここは金属製の折板。
次は〜 ばた〜・・・
 

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