山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

上野 → 御徒町
2. 上野大通 架道橋

新橋から延々と続く高架線の北の端に位置する架道橋である。 
現在は「中央通り」の 北の起点であるが、架道橋竣工時点の昭和初期には
「上野大通り」と呼ばれていたのであろう。

当時の姿 (山手線の内側から)
日本地理風俗大系U/新光社/1931(昭和6)年発行
右奥では駅舎の鉄骨工事が行われているので、撮影は1930年か。

ほぼ 同じ位置から
ほとんど変わっていない。 それだけに、大地震の時が心配である。

全 景 (山手線の外側から)
上野駅 広小路口 
架道橋の中央付近に橋脚があり、桁がふたつに分かれていることがわかる。
しかも、そこで折れまがっている。

桁の接続部 (山手線の内側から)
ちょっと気になるのは、上野駅側の桁の乗せ方が簡単なこと。
もうひとつ。 橋脚の寸法を間違えたのか、それとも竣工後の地盤沈下か、高さの調整に多数のプレートを噛ませてあるのも・・・。

橋脚は「鉄骨コンクリート」のような気がする。

架道橋 A(3本)の下は 横断歩道
1925年(大正14年)頃、初めに架けられた部分である。

架道橋 B(2本)
上野駅方向を見ている。 左が京浜東北線南行き、右は引き上げ線としてしか使われていなかった線路だが、ようやく縦貫線として日の目を見ようとしている。

オリジナルという点で目に留まるのは、両脇にあるリベット仕様の鉄柱である。

テーパーの付いた鉄柱
最近の柱はコンクリート・ポールであるが、当時は架線用の柱もリベット止めで作ったものである。
上部ほど細くなっている。 最上部は四隅のアングルを止める「レーシング」(X 印の鉄板)がない。 力学的には合理的だが、同サイズのレーシング部品を使うためには、穴の間隔がすべて違ってくる。

4番ホームから
架道橋を渡り終える 京浜東北線南行き

RC造の高架橋 (B部分)
ここから先は、高架橋と架道橋が交互に連続することになる。

上野大通架道橋は、上野新駅が完成する1932年(昭和7年)以前の 1931年(昭和6年)頃には、すべて開通していた。


上野大通 架道橋 データ


位 置: 台東区上野七丁目〜上野四丁目
  東京駅より 3K 494M 09
管理番号:   38 (東北線)
道路名: 中央通り
線路の数: 計 7 本 (下記 ABC は仮の呼び名)
A: 3本: 京浜東北線北行き、山手線 2本
B: 2本: 京浜東北線南行き、
      常磐線および引き上げ線
C: 2本: 常磐線および引き上げ線
橋 長: 約 48m
支 間: 上野側 18m 220 + 御徒町側 30m 216
空 頭: 高さ制限 : 表示無し
竣工年:
(桁の製作年)
A: 1925年(大正14年)
B: 1928年(昭和3年)
C: 1930年(昭和5年)
備 考: 銘板部分のペンキの塗り重ねのために、製作年が読み取りにくいが、何度か通ううちに判明した。
名前の由来: 当時の通りの名称であろう

Top Menu へ 山手線が渡る橋・くぐる橋 高橋俊一 五條町橋高架橋 へ