山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −


「上野町高架橋」は「忍川橋架道橋」から春日通りの「切通橋架道橋」までの高架橋であるが、途中に「魔利支天橋架道橋」を挟んで 第2 と 第1 に分かれている。 ともに40m程度の短い高架橋であるし、外観・内容も似ているので、ひとつの項にまとめて取り上げる。

掲載する順番は、山手線外回りの順とする。

上野 → 御徒町
6−1. 第2上野町 高架橋

終戦後 1948年(昭和23年)の様子













    忍川橋架道橋   魔利支天橋架道橋  切通橋架道橋
国土地理院
間が第2、魔利支天橋を挟んで 間が第1高架橋である。

戦前までは大きく 2つのブロックまでができていた。 C部分は下谷町高架橋で途切れており、1956年(昭和31年)、山手線と京浜東北線 完全分離時に建設された。


A 部分 建造時期:1924年(大正13年)頃
アメ横通りの様子 (山手線の内側)
左に「忍川橋架道橋」の一部。  奥には 次の「魔利支天橋架道橋」が見える。
「中田商店」は昔から有名なアーミー・グッズ店。
 
A部 と B部の間にある構内通路
中央通路は魔利支天橋架道橋を抜けて、切通橋の架かる春日通りまで続いている。


C 部分 建造時期:1955年(昭和30年)頃
御徒町駅前通の様子 (山手線の外側)

御徒町駅方向を見る。右端が忍川橋架道橋。

左端は魔利支天橋架道橋。


 

上野 → 御徒町
6−2. 第 1上野町 高架橋

A 部分 建造時期:1924年(大正13年)頃
夜も賑やかなアメ横通りの様子 (山手線の内側)
奥の「アメ横門」の向こうが御徒町駅。


C 部分 建造時期:1955年(昭和30年)頃
夕暮れの御徒町駅前通り (山手線の外側)
上野駅方向を見ている。 奥に「魔利支天橋架道橋」

中央通路の端部
「忍川橋架道橋」に始まる、AとB部の間の通路は「切通橋架道橋」まで続いているが、ガード下の歩道の幅が狭いことから、ここからの出入りはできない。

通路の最後の部分は、上部が駅のホームとなっている。

第 1・第2 上野町 高架橋 共通

位 置: 台東区上野六丁目
管理番号:   −
線路の数: 計 7 線 (下記 ABC は仮の呼び名)
A: 3線: 京浜東北線北行き、山手線 2本
B: 2線: 京浜東北線南行き、
      常磐線引き上げ線
C: 2線: 現在は縦貫線工事のため線路は
      取り外されている。
橋 長: ともに 約 40 m
橋脚の数: ともに8本、 平均スパン:5.7 m(約 6ヤード)
竣工年:
(桁の製作年)
A: 1924年(大正13年)頃
B: 1928年(昭和3年)頃 ?
C: 1955年(昭和30年)頃
備 考:

不忍池
名前の由来:  建設当時の地名による
地名の由来: 上野駅の項で駅の歴史に力を入れすぎて、
地名の由来を忘れてしまった。

上野の地名は「上+野」 あるいは 「上+野辺」、または 「上+沼」 ということから、上の野 または 沼の上、すなわち「上野台地」を指す。

寛永寺建立以前は、上野台地東端に「上野村」があったそうで、山手線が建設された当時の「上野町」は その時移転されたものである。

上野駅が建設されたのは「上野山下町」であったが、付近一帯が「上野」で総称されることから、駅名に採用された。

御徒町駅の開設は 上野駅から40年後。
1925(大正14)年の山手線環状運転開始時である。
1956年(昭和31年)修正の地図/国土地理院
緑の枠内が 第1・第2 高架橋部分


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