山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

御徒町 → 秋葉原
7. 練塀橋 架道橋

ねりべいばし かどうきょう。
当初計画では練塀橋も 長さ19.2mの規格サイズで架けられる予定だったが、都市計画道路の幅に合わせて、約30m、2連の立派な架道橋となった。

位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院に加筆 下も
 御徒町駅                  蔵前橋通り                 秋葉原駅
巨大な秋葉原貨物駅は1975年(昭和50年)まで営業が続く。

練塀橋は貨物駅に分岐する線路が広がる場所で、当初は いくつもの架道橋があったが、新幹線工事に伴って西側(山手線の外側)が架け替えられ、新設の架道橋に「秋葉原電留ガード(東北線 30)」の名称が付けられている。

同じ場所であり、プレートガーダーの銘板の名前は「練塀橋梁」なので、同一ページで扱うことにする。



竣工当時の練塀橋
『東京市街高架線 東京上野間建設概要/鉄道省』(1925年)
御徒町駅方向を見ている。 橋台は4線分作られたが、まず2線分が架けられたことがわかる。
また、橋脚上部のブレース(X型の補強)も当初から付いている。
 
現在の姿 (山手線の内側)
まったく 変わらぬ姿。  85歳である。


全 景 (山手線の内側から)

高架橋の A・B・C は仮称。 
A 部分 : 桁の製作年 不明、1923年(大正12年)頃
近 景 (山手線の内側から)

A部分の 橋脚

計算上はピン接合だが、ベース・柱頭部分とも 剛接合といえる。

B 部分 : 桁の製作年 1929年(昭和4年)
B部分 その1
一見 A 部と同じように見えるが、ベース・柱頭部分とも違っている。

トップが「ピン構造」となっており、数年の違いなのに A とは違っている。

B部分 その2
                                       ▲   C部分↑
B部その1 と同じ造りなので、同時期に作られたことがわかる。

また、向かい側の「橋台」(▲印)は、さらに右側に架道橋が続いていたことを示している。 C部分が作り直された時にカットされて、新しい橋台が接している。


C 部分 : 竣工 1990年(平成2年)10月 
全 景 (山手線の外側から)
JRの管理名称は「秋葉原電留ガード」。

C部分の地下に東北新幹線を通すために、ここから東京駅までの地上部が更新・新設された。  架道橋は橋台ごと新しくなっており、中間に脚はない。
右側に古い橋台が残っているのは、貨物駅時代に幅が広かった名残である。

民営化の後の着工であるが、架道橋の設計は「日本国有鉄道 清算事業団関東支社」となっていた。
 
近 景 (山手線の外側から)
常磐線の留め置き線4本は、山手線の内側から番号が振られている。

第1御徒町高架橋 との境目 (山手線の内側から)
中央の白いコンクリートが 第1御徒町高架橋オリジナルと C部分架道橋との境。

C部はボックス梁

練塀橋 架道橋 データ



1万分の1地図1909年(明治42年)
            /国土地理院
位 置: 台東区上野五丁目〜上野三丁目
  東京駅より 2K 497M 50
管理番号:   31 および 30 (東北線)
道路名: 蔵前橋通り
線路の数: 計 10 本 (下記 ABC は仮の呼び名)
A: 2本: 京浜東北線北行き、山手線内回り
B: 2本: 山手線外回り、京浜東北線南行き、
   2本: 2本は縦貫線のための工事中で
      線路が外されている
C: 4本: 常磐線 留め置き線
支 間: A: 約 29 m (14.77 + 14.77 m の2連)
B: 29.7 m
空 頭: 高さ制限表示 無し
桁の製作年 A:1923年(大正12年)頃
B:1929年(昭和4年)
C:竣工1990年(平成2年)10月
備 考: 建設当時の名称は「練塀橋」であり、後年に それに架道橋を付け加えたために、「橋」が重複した名前となっている。
管理番号30 の呼び名は「秋葉原電留ガード」
名前の由来:  建設当時の付近の地名に由来する。
地名の由来: 江戸時代、当地は武家屋敷が多く、瓦屋根の載った土塀が連なっていたところから地名となった。 「練塀 ねりべい」は練った粘土と瓦を交互に積み重ねて築く塀で、土の塀に較べて耐久性が高く、多少の耐震性もあると思われる。
練塀町は地図の通り、練塀橋架道橋から秋葉原駅にかけての地名である。
現在では、次項の第2秋葉原南高架橋がある場所が、「千代田区神田練塀町」 として残されている。 





台東区谷中に残る 築地塀

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