山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

御徒町 → 秋葉原
9. 秋葉原北 架道橋

2009年(平成21年)2月に竣工したばかりの、山手線で一番新しい架道橋。

遠 景 (山手線の内側から)
留置き線との中間部には、東北縦貫線の工事車が出入りする仮設構台が作られている。 A 部分の左側2線が工事中である。

この位置には当初から東西の道が通っていた。  秋葉原青果市場に荷物を運ぶ、北側の通路である。
高架橋の柱の間を道路とする「第1・第2御徒町ガード」と同じ形式で、鉄製の桁はなく、未確認であるが「貨物通路架道橋」という名称だったようだ。

終戦後の様子
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院


A 部分 : 竣工 2009年(平成21年)2月
全 景 (山手線の内側から)
古い高架橋の柱が計10本ほど撤去されて、スパンの長い桁が架けられた。
工法の関係か、本体部分だけでなく前後にも新設部分がある。 桁は全体がひとつにつながっているようだ。 それなら地震の時に桁が脱落することがない。

営業しながら どのようにして高架橋を架道橋に架け替えたか? 工事手順にも興味が湧く。
 
近 景 (山手線の内側から)

離れ業
                                  秋葉原北架道橋↑
既存高架橋と新設架道橋との接続方法。  新設橋台(右の柱)の上に、柱を取り去った高架橋を載せている!  コンクリートでもこんな事ができるのか。
さすがに太い梁を後打ちして補強している。(印)

桁の詳細
鉄骨主体のようだが、側面や天井面はコンクリート系パネルで仕上げされている。
両サイドの短スパン部分

近 景 (山手線の外側から)


A と B の中間部分
作業スペース (秋葉原方向を見ている)
      ↑B部分(留置き線)                       A部分↑
ひとつ前の写真の、橋と橋の間。ここも東北縦貫線の作業場となっている。
 
仮設構台
           ↑一列残された古い高架橋の柱


B 部分 : 竣工 1990年(平成2年)頃
遠 景 (山手線の外側から)
交差点も広い道として新しく整備された。 「神田練塀町」という交差点名を提案。
 

全 景 (山手線の内側から)
真下を通っている東北新幹線が次第に上がってくるために、道路レベルが周囲よりも高い。(右側が秋葉原駅)

スパンの割に 桁の高さ(厚み)が小さく見える。 中に鉄骨が入っているのか。 

位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院に加筆
御徒町駅                 蔵前橋通り        青果市場     秋葉原駅

秋葉原北 架道橋 データ

位 置: 千代田区神田練塀町〜外神田四丁目
管理番号:  ラベルなし
道路名:  −
線路の数: 計 10 本 (下記 AB は仮の呼び名)
A: 6本: 京浜東北線2線、山手線2線、
      東北縦貫線2線
B: 4本: 常磐線 留置き線
支 間:
空 頭:  高さ制限表示 無し
竣工年 A: 2009年(平成21年)2月
B:1990年(平成2年)頃
備 考: A部の着工は2005年2月で、完成までに4年掛かっている。
以前の高架橋下ガードの呼び名は「貨物通路架道橋」、未確認。
名前の由来:  秋葉原駅の北に架かる架道橋
駅名の由来: 秋葉原駅 参照


新幹線トンネル工事中の秋葉原北架道橋 付近 1989年
国土画像情報1989年(平成元年) CKT-89-3/C5 より
まだ 地上部の高架橋(留置き線)ができていない。

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