山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

御徒町 → 秋葉原
10. 第2秋葉原 高架橋

第2秋葉原高架橋はもともと 約350mの長い高架橋であったが、青果市場跡に高層ビルが建ち、中間に新しく「秋葉原北架道橋」が作られて、北 と 南に分けられた。  南側部分は青果市場時代のままにすべて駐車場となっており、あまり活用されているとはいえない。  
耐震補強工事が済んだ後は、店舗などに転用されるのかも知れない。

A 部分 建造時期:1924年(大正13年)頃
 
山手線の内側 (秋葉原方向を見る)
↑ 秋葉原北架道橋              奥に 秋葉原の新高層ビルが見える

山手線の内側から 2010年8月
手前A部分6線の内、2本は東北縦貫線のために線路が外されている。
奥が B部分(留置き線)の終端部分。 ここから南は新幹線が地上となる。

南から北 御徒町方向を見る

三径間 連続スラブ橋
『東京市街高架線 東京上野間建設概要/鉄道省』(1925年)
1925年(大正14年)に開業した秋葉原駅は、当初から電車ホームが2本用意されたため、練塀橋架道橋以南は、東北線を含めて6線の高架橋となっている。 柱6本、総幅84フィート、約25mである。

耐震補強工事の様子



柱が6本並んでいる。
赤い錆止めの上に 仕上げ塗装される。

24時間 駐車場
耐震補強工事前 の状態である。 中程から秋葉原方向を見ている。


A と B の中間部分
仮設構台 (秋葉原方向を見ている)
           ↑一列残された古い高架橋の柱、   作業車のための斜路↑
耐震補強された白い柱は、昭和初期に作られた 秋葉原貨物駅用の高架橋の一部である。
 
延々と続く 一本柱
 
用途は 配管スペースと人道橋のようだが、次の「明神坂架道橋」まで続いている。  なぜ新設のB部分に併設する形としなかったのか?
留置き線に沿って 部分 明神坂架道橋 部分
恐らく、B部分 (留置き線・新幹線)の工事中に、通路などとして古い高架橋の一部が使われ、最後に秋葉原からの通路として残されたのであろう。


B 部分 竣工時期:1990年(平成2年)頃

山手線の外側 (秋葉原方向を見る)
高架橋(水平)は常磐線の「留置き線」。 
地下を走っている新幹線が次第に上昇してくる。(白い塀の下がトンネル部分)

B部分 端部 (秋葉原方向を見る)
ここはすでに地上部(高架下)で、屋外に出たあとすぐに高架となる。

新幹線の上が 留置き線
秋葉原駅から

位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
  御徒町駅                 蔵前橋通り                  秋葉原駅
移転前の青果市場の横にあたる。  巨大な秋葉原貨物駅。
第2秋葉原 高架橋

位 置: 千代田区神田練塀町、神田相生町
管理番号:   −
線路の数: (下記 ABC は仮の呼び名)
竣工時 A: 6本: 京浜東北線、山手線の共用2線
      東北本線 4線
B、C:  貨物線 多数
現在 A: 6本: 京浜東北線2本、山手線 2本
       東北縦貫線2本 工事中
B: 4本: 常磐線留め置き線
C:  1991年(平成3年)以降に 撤去
橋 長: 約 250 m
橋脚の数: 19本、 スパン:5.5 m(6ヤード)
竣工年:
A: 1924年(大正13年)頃
B: 1990年(平成2年)頃
備 考:
名前の由来:  秋葉原貨物取扱所横に、旅客駅である秋葉
 原駅を開設するため建設された高架橋。
駅名の由来: 秋葉原駅の項を 参照

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