山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 | |
秋葉原 → 神田 | |
タイトル地図については 脚注を参照 | |
2. 佐久間橋 架道橋 |
2010.10.23 掲載 2015.7.23 再利用された第6線の桁 を追加 |
開通したのは大正末期の高架線開通時で、電気街に最も近い。 現在は秋葉原駅ホームの一部が架道橋部分まで延長されている。 東北縦貫線の工事に伴って、変化が起きた。 秋葉原 − 東京 間での仮称は中央線を「A部」とする。 このため これから先、神田駅近くまでは A部が無い。 |
1947年(昭和22年) 国土地理院/撮影は米軍 |
写真サイズ 400 × 189 |
戦後すぐの空中写真によって、佐久間橋架道橋は「6線」架けられていたことがわかっている。 B部 : 山手線の内側 3線分 C部 : 山手線の外側 3線分 2線 は、上野 − 東京ライン用に再利用 TX部: 東北新幹線 |
B 部 | : 3線分 、竣工1925年(大正14年)6月 |
次の「佐久間河岸高架橋」は3線分造られた。 ここ 佐久間橋架道橋が、まず2線分架けられたのか 一度に3線架けられたのかは、はっきりしないが、B1〜B3の形状は同じであり、引き続いて残りの3線(C部)も架けられているので、B部は3線が同時に架けられたと考える。 |
全 景 (山手線の内側から) |
山手線の一番内側には、京浜東北線北行きが通る。 駅からすぐの位置なので線路の間が開いており、B1(手前の線)は単独の桁となっている。 |
桁 B1 の下から 神田方向を見る |
↑B2 部分 山手線の内側→ |
B1の銘板 ▲印 は「大正十二年」 | |
B1 と B2の中央から 秋葉原駅を見る |
1 ・2番プラットホームの端部が見える。 B2部分↑ |
2番線から 神田方向を見る |
B2 ↑B1 |
B2 部分 :竣工1925年(大14年)6月 |
全 景 (山手線の内側から) 2010.10.14. | ||
B1部 |
B2部 C部 |
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山手線用の2線である。 |
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桁 B2 の下から 秋葉原方向を見る | ||
B1部 |
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B2部分 2線 プラットフォーム↑ |
2番ホーム から見た B2部 (第2 ・3線) |
神田方向を見ている。 閉床式なので、上からはガードは目立たない。 道路の上に第二ホームを延長したのは 1959年(昭和34年)9月、8両編成対応のため。 |
C 部 | : 桁の製作年1927年(昭和2年) |
第4線 : 京浜東北線 南行き 第5 ・6線 : 旧東北本線 → 上野 - 東京ライン |
かつての C部分 2010.1.30. | ||
B2 B1 |
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工事前の写真、秋葉原駅方向を見ている。 仮囲いがあるが、C部の橋台も3線あることがわかる。 この時点では何の工事が始まるのか 判っていなかった。 |
再利用された架道橋 |
鉄は錆びさえしなければその強度は劣化が少ない。 イギリスには、230年以上前の鉄橋が現存し利用されている。 国鉄時代の古レールの使用は物資不足を補う面もあったと思うが、使えるものは再利用する精神は
JRとなっても変わっていない。 C部分3線のうち 山手線外回りが使っている1線はそのままだが、旧東北本線用の 第5 ・6線は、上野 - 東京ラインの桁として再利用された。 縦貫線と同じ構想は、山手線が環状運転を始めた1925年(大正14年)の時から有り、昔から予備の線路は2線あったのだが、諸事情で実現していなかった。 いわば鉄道省以来の「悲願」であるが、神田周辺の一部住民の反対などによって着工が遅れた。 反対の理由のひとつが「二階建て線路」である。 新幹線を作る時に、神田駅周辺だけは新たな用地買収ができず、6線のうちの大事な2線分を使ってしまった (4線は、山手線・京浜東北線)。 その時に「これ以上の増線はしない」という約束があったとかで遅れた工事も、ようやく2015年に開通した。 新線は高架橋である新幹線の更に上を走るために、秋葉原で総武線を く ぐったとたんに、急勾配で登っていく。 その最初の架道橋がここ「佐久間橋」である。 |
過去の写真は タイトルを | 色としている。 |
2010.4.9 元の状態 2010.9.21 | |
仮設構台の設置 2010.10.14. |
青いシートにくるまれている鉄骨。 |
リフトアップされた架道橋 2010.10.19. | |
ワイヤで緊結 |
リフトアップされたのは 2010年10月の事。 巨大クレーンで吊り上げてしまうのが一番簡単だが、2本の桁は繋がれたままなので60トン以上あるし、両側に線路があるので難しそうだ。 道路下にリフトアップ装置を積んだトラックが来るなどして、一晩で済ませたか? この状態は仮置きなので、地震対策として 桁はそれぞれ4本のロープで固定されている。 |
リフトアップされた架道橋 2010.10.19. | |
↑ | |
元の状態 2010.1.30 |
仮置きの状態 |
既存橋台の前に鉄骨の「受け」を立て、緑色の小さなブロックを積み重ねた上に桁を載せている。 既存の橋台・高架橋をすべて造り直した後で、再度据え付けられる。 |
プレートガータ本体を こんなに間近で見る機会は少ない。 橋台への止め方は 意外と簡単なようだ。 載せて留めるだけ・・・。 仮置き中の安全についてはプロに任せるとして、しろうとが工事手順を考えてみると、いろいろとわからないことや 疑問 が起こる。 |
再利用にあたっては、以前のようなバラスト(砂利)は使わず、まずコンクリートを打ってからその上に防振枕木が敷かれた。 |
開通後の架道橋 2015.6.30. |
手前の2線が 急勾配で登っていく上野東京ライン用。 元は奥の桁と同じレベルにあった。 |
TX 部 | 新幹線建設時期:1990年(平成2年)頃 |
新幹線 東京駅乗り入れ:1991年(平成3年)11月 |
遠 景 (山手線の外側から) |
C部分の下から |
秋葉原駅で総武線を くぐったあと、まだ十分に登り切っていないために、鉄骨の桁は「下路」で、上から見ると路盤の上に桁が出ているのがよく見える。 次の写真は、総武線のホームから神田方向を見ている。 |
下路プレートガーダ 2010.9.21. |
位 置 (終戦後の様子) |
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院 |
秋葉原駅 中央線 神田駅 |
■ 佐久間架道橋 データ | |||
位 置: | 千代田区神田佐久間町一丁目〜 外神田一丁目 東京駅より 1K 910M 89 | ||
管理番号: | 16 (東北線) | ||
道路名: | 佐久間通り | ||
線路の数: | 計 8 線 ( B〜TX は仮の呼び名) | ||
B1 : 1線: 京浜東北線北行き、 B2 : 2線: 山手線2線、 ホーム: 3 ・4番線 C : 3本: 京浜東北線南行き、 内2線は上野 - 東京ラインに TX : 2線: 東北上越新幹線 |
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支 間: | B・C : 23m 920 | ||
空 頭: | 高さ制限表示 なし | ||
桁の製作年: | B1: 1923年(大正12年) B2: 1924年(大正13年) C: 1927年(昭和2年) TX: 1989年(平成元年)頃 |
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備 考: | 支間は桁の塗装履歴に書かれているものを記載したが、『東京市街高架線 東京上野間建設概要/鉄道省』(1925年)によると、63フィート、 20m12 である。 | ||
名前の由来: | 町名に由来する。 | ||
町名の由来: | 神田川に面した神田佐久間河岸 および神田佐久間町は、材木商の町であった。 そのひとり 佐久間平八の姓に由来する とされている。 | ||
タイトルの地図について : 地図サイズ 299×90 |
昭和5年(1930年)測図、 昭和31年(1956年)第2回修正測図 1万分の1地図「日本橋」に加筆 地理調査所/国土地理院 発行 |
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