山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

秋葉原 → 神田
10. 平永橋 架道橋

環状山手線の開通当初 1925年(大正14年)は、柳橋架道橋よりも少し長いだけの 約14mのガードであったが、その後すぐにできた靖国通りの新設に伴って
現在の長い橋に架け替えられた。  元の橋の寿命は わずか2 ・3年・・・。

全 景 (山手線の外側から)
東北縦貫線が完成すると、山手線部分はまったく見えなくなる。 左奥の架道橋は中央線。

道路の新設
御徒町 - 秋葉原間の「練塀橋」では 関東大震災後の復興計画に合わせ、急遽予定を変更して計画道路の幅に合わせた架道橋としたが、ここではそれが間に合わなかったようだ。

山手線 環状運転開始時の神田川付近 1925年(大正14年)
関東大震災は1923年(大正12年)9月1日。 内務大臣 後藤新平のもとに、大規模な都市計画道路の策定や区画整理の実施が行われた。  ここでは電車通り(柳原通り)を拡張せずに、なんとも大胆に 新しい道を通している。
昭和通り     1930年(昭和5年)測量/国土地理院
南北に走る「昭和通り」と対で、当初は「大正通り」と呼ばれたようだが、靖国神社の横を通っているところから 「靖国通り」に変更された。  
なお、聖橋(緑の○印)もこの時期 1927年(昭和2年)に新設された。 道路はニコライ堂を避けて計画されている。

短くなった高架橋
1925年(大正14年)開通の場所に、昭和2年製の桁(銘板による)が架かっているので、架道橋が架け替えられた事がはっきりするが、道路が広げられたことを端的に示す証拠がある。 (第1柳町橋高架橋の項でも触れている。)

区画番号 3番
平永橋架道橋の秋葉原側の高架橋、「第1柳町橋高架橋」の壁には区画番号が振られている。 その最初の番号が「3番」であることから、2スパン強が撤去された事がわかる。
架道橋の架け替え前後の長さは 23mほど長くなっている。2スパン強は12m ぐらいなので、反対側の「平永橋高架橋」も削られたはずだ。



A 部分 4線分、架道橋の銘板:1927年(昭和2年)

1925年(大正14年)11月の開通時には、14.36mの短か目の架道橋が2線分(もしかすると4線分同時に)完成していた。
震災後の帝都復興計画が実行に移され、靖国通りが通されたため、平永橋は架け替えられた。

全 景 (山手線の内側)

近 景 (山手線の内側)
秋葉原方向を見ている。  道路中央と 両側の歩道に橋脚が計3ヵ所。

近 景 (山手線の外側 神田方向)  2010.1.30 の状態
↑B部分                   A部 4線
ここは早くから 東北縦貫線の工事が進んでいる区間だが、この時点で、すでに架道橋がない。 もっと早くに撤去されたのか?  どうもおかしい・・・。

A部の4線 橋脚
4本が組となってつながれている。 架け替え時には 2線ずつ施工されたのであろう。 橋脚が茶色いくなっているのは、上部の錆が雨水で落ちてくるため。

柱の中ほどの補強は、戦後のもの。


B 部分 2線分、 もとの架道橋の竣工時期:1955年(昭和30年)頃

東北縦貫線の工事中  2010.10.19 の状態
東北縦貫線はこの先で、左側にある新幹線の上を走る事になるため、すでにかなり高い高架となっている。

新幹線工事と高架橋
ところで 以前ここに架かっていた架道橋だが、どう見ても、今回の工事で撤去された形跡がない。
国土交通省のホームページ『国土画像情報』で、1989年(平成元年)の空中写真をチェックしてみた。

  神田川           靖国通りと平永橋架道橋                            神田駅
国土画像情報 CKT-89-3/C5-31、 国土交通省
神田川にはすでに新幹線用の橋が架けられている。 平永橋架道橋は部分。山手線の外側の2線、1955年(昭和30年)頃に工事が行われて追加された部分に注目。

神田川を渡った「柳原通り架道橋」の先(印)に車止めが設けられ、そこから 東京駅側の線路は取り外されている!  
では、どこまで高架橋が撤去されたのか? 『国土画像情報』には新幹線開通後の写真は公開されていない。 別の『国土変遷アーカイブ・空中写真閲覧システム』では画像が小さく、確認しにくい。

そこで Google Map を見たところ、幸いにも東北縦貫線工事前の写真のまま、まだ更新されていなかった。  著作権のことがあるので画像は出せないが、新幹線工事では「平永橋架道橋以南が撤去されていた」事を確認した。
結論、
平永橋架道橋 B部分の桁の撤去は、1989年 あるいは 1990年 であった。


C 部分 新幹線、建造時期 : 1990年(平成2年)頃
 
全 景 (山手線の外側)
←神田駅まで 400m                      秋葉原駅まで 200m→


位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
      秋葉原駅        中央線   中央通り                神田駅

平永橋架道橋 データ


位 置: 千代田区神田須田町二丁目
  東京駅より 1K 710M 73
管理番号:  13 (東北線)
道路名:
線路の数: 計 8 本 (下記 A〜C は仮の呼び名)
A: 4本: 京浜東北線、山手線
B: 2本: 東北縦貫線2線 工事中
C: 2本: 東北上越新幹線
支 間: A: 37m 970
空 頭: 高さ制限表示 なし
竣工年: A: 1927年(昭和2年)頃
B: 1955年(昭和30年)頃
C: 1990年(平成2年)頃
備 考: A部のオリジナルは1925年(大正14年)竣工

竣工時の名称は「平永橋」。
名前の由来:  旧町名「平永町」に由来する。 
町名の由来:  不明









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