山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

秋葉原 → 神田
12. 東松下橋 架道橋
13. 東松下町橋 高架橋

神田川と日本橋川に挟まれた下町一帯は、道路が東西方向と 30〜40度振れているため、ほぼ南北に走る山手線とは斜めに交差してしまう。
特にこの東松下橋では、丁度 交差点の上にガードが架かっており、桁と橋台が特殊な形状となっている。

東松下町橋高架橋は V字型の東松下橋架道橋の間に挟まれているため、同じ項で扱うことにする。

             東松下橋の形状 1947年(昭和22年)の状態 / 国土地理院
 平永橋  平永町橋高架橋   東松下町橋高架橋  黒門町橋高架橋  鍋橋架道橋
      靖国通り      中央線                           中央通り
赤い「字型」が 12. 東松下橋架道橋である。 橋台・高架橋 の工事は4線分が一度に行われたと思われるが、まず 内側の2線が架けられた。
緑の三角部分が 「13. 東松下町橋高架橋」である。

ここでは、山手線内側の2線の架道橋を 、外側2線の神田側を B1、秋葉原側を B2、新幹線を 部分と呼ぶことにする。

全 景 (山手線の外側から)
東北縦貫線の工事はこれからで、新幹線の上に二階建てとなる。
 
東松下橋架道橋の形状がわかりにくいので、点線で示す。

神田ふれあい通りに印された横断歩道のゼブラ模様で、道路の向きがわかる。


A 部分 2線分、架道橋の銘板:1924年(大正13年)
           竣工:1925年(大正14年)4月頃

全 景 (山手線の内側)
         右側に見える黄緑の建物は、JRの「神田交直流変電所」↑

近 景 (山手線の内側)
交差点の上に桁が架かっている様子。 
中央に見える白い橋台が三角形状の 「東松下町橋高架橋」。

A部の桁の様子 (神田方向を見ている)
     B部の1線目                      A部 2線
                       ↑
白い壁の 「東松下町橋高架橋」に 外側の桁を載せているのがわかる。
 
A部の桁の詳細 (秋葉原方向を見ている)
形状が特殊なため、ほかでは使われていない「複線中路(ハーフスルー)式」となっている。 ここに通常の単線の桁を架けると、2線の中央部のスパンが長くなる。 かといって橋脚を立てたくても、道の真ん中になってしまうので できない。

このため 2線分をひとつの橋梁とした。 また 桁の背を大きく取るために、小梁を桁の少し低い位置に取り付けるのが「中路式」である。

参考に、一般的な「単線上路式」架道橋の写真を掲げる。 
リフトアップされた佐久間架道橋である。 (二本の架道橋が並んでいる)
上路閉床式架道橋
砂利を敷くためのバックプレートを 桁の上部に取り付けている。  レール面はプレートの約45cm上になる。


B 部分 2線分、 架道橋の銘板、A部と同じ:1924年(大正13年)

←神田方向                     山手線の外側から                  秋葉原方向→
               新幹線部分↑       ↑東松下町橋高架橋
新幹線との間に隙間があるが、新線を通すほどの余裕はない。
ガード下は薄暗くなり 安心感が増すのか、車を止めて休息・仮眠する人が多い。


C 部分 新幹線、建造時期 : 1990年(平成2年)頃

←神田方向                     山手線の外側から                  秋葉原方向→
新幹線建設時に、旧東北本線2線分を取り壊して使ってしまったため、今回の東北縦貫線は新幹線上部を通す事になった。


もう一つの注目点は、ここを境に高架橋の構造が変わる事である。
新橋付近から順次造られた高架橋は 初めは純レンガ造のアーチ、途中からはコンクリート造のアーチ形式である。 

東京駅以降も 14. 黒門町橋高架橋までは【拱橋】(アーチ形式)を原則とし、コンクリート造に石やレンガあるいはレンガタイルで表面の仕上げをしている。
(一部には アーチ形式ではない構造が施工されている。)

13. 東松下町橋高架橋から上野までは【スラブ橋】(柱梁形式)。 高架下の利用率を高くするためである。  
こちらは 予算と時間の関係で、モルタル塗り仕上げ または 打ち放し仕上げ。

【装飾は必要に応じて他日施すこととし、工費を節約して線路の延長を謀るを急務と認め、東松下橋以北に於ては一切化粧工事を省略せり】
【 】内の表現は『東京市街高架線 東京上野間建設概要/鉄道省』(1925年)

神田側 黒門町橋高架橋の橋台
躯体はコンクリートであるが、道路に面する部分には レンガ積みの化粧仕上げとなっている。 コーナーの石積みは、石の粒を塗り込めた「擬石仕上げ」である。

汚れたレンガの表面をグラインダーで削ってきれいな面を出し、透明塗料が塗られている。
補修の状態 コーナーの装飾

 

13. 東松下町橋 高架橋

全 景 (山手線の内側、ガードの下から)
ほぼ二等辺三角形をした、小さな高架橋である。
掲示されている標識は架道橋のもので、ほかにはある「高架橋」の名称板が無い。

『東京市街高架線 東京上野間建設概要/鉄道省』の橋梁一覧表を見なかったら、見過ごすところだった。 その表に記載されている「延長」は わずか 5.08 フィート(1.55m)である。  これはまず竣工した2線分の桁が載る、次の写真の部分に係わる高架橋(橋台)の長さであるが、実際には そんな小さな柱のようなものは造らないだろう。

B部分の桁の銘板(製作年)も A部と同じ 1924年(大正13年)である事から、写真の三角高架橋は1923年(大正12年)には竣工していたと考えられる。
 
       A部 2線                                 B部

 
山手線の外側から (神田方向を見る)
↑新幹線                   ↑東松下町橋高架橋

山手線の外側から
手前に障害物があって全景は撮りにくい。  三角形の底辺の長さで 約16m。



位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
      秋葉原駅        中央線   中央通り               神田駅

東松下橋架道橋 データ


位 置: 千代田区神田須田町二丁目
  東京駅より 1K 577M 96
管理番号:  12 (東北線)
道路名:
線路の数: 計 6 線 (下記 A〜C は仮の呼び名)
東北縦貫線が完成すると 8線
A: 2線: 京浜東北線、山手線
B: 2線: 京浜東北線、山手線
C: 2線: 東北上越新幹線
支 間: A: 24m 150
空 頭: 高さ制限 4.0 m
竣工年: A: 1925年(大正14年)4月
B: A部と同じ頃と思われる
C: 1990年(平成2年)頃
備 考: 架道橋の銘板は 共に1924年(大正13年)
竣工時の名称は「東松下橋」。
名前の由来:  旧町名「東松下町」に由来する。 
町名の由来: 明治以前、付近には神田松下町の飛び地である「神田松下町一丁目代地」があった。
1868年(明治2年)に周りの町と併せて「東松下町」となった。 東を付けたのは「松下町」と区別するためだが、直線距離で 約700m離れている。
松下町の名前の由来は不明。
千代田区 町名由来板ガイド による

               松下町 と 東松下町 印が東松下橋架道橋
神田橋             龍閑橋            中央通り
1万分の1地図/1921年(大正10年)修正/国土地理院

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