山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

神田 → 東京
1. 第3鍛冶町橋 高架橋

第3 かじちょうばし こうかきょう。
1919年(大正8年)はじめには竣工し、3月1日に開通した 現在の中央線。

その時に造られた第3鍛冶町橋高架橋(4線分)は、下図のような三角形であったため、アーチ形式ではなく、本格的な柱・梁形式の構造が採用された。

その工事記録である『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』には、
【由来三角形の土地にして、拱橋を架することも 単版桁を設くることも共に不適當なるのみならず、東京市内殷賑の地なれば 之を利用し、将来家屋として使用し得べき特殊の構造となすを適当と認め、鉄道建築物として我国従来の構造と全く其の趣を異にせる、新規の構造法を採用せり 】
と書かれている。

第3鍛冶町橋高架橋の形状
1947年(昭和22年)の状態 / 国土地理院






中央線
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 中央通り                            神田駅↑

第3鍛冶町橋高架橋 平面図
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行
航空写真に合わせて、オリジナルの図面を 180度 回転してある。 
各5スパンだが、線の数は4線。 図中 実践が線路の中心線で、下が第一線、
一番上が第四線。 三角形の外に書かれている破線が架道橋の位置を表している。

辺の長さは 約 37m、29m、23m である。

工事中の第3鍛冶町橋高架橋 (東京方向を見た写真)








第3鍛冶町
高架橋→
.
手前の架道橋は「鍋橋架道橋」 A部、奥が「神田大通橋」。     『 同 上 』

竣工当時の第3鍛冶町橋高架橋 (秋葉原方向を見た写真)
手前の架道橋は「神田大通橋」 A部。                 『 同 上 』
高架橋の前に広い歩道があるが、まだ完成していないためか 人は車道を歩いている。


中央線・山手内回り・京浜東北北行きの4線分を 部、 現山手線外回り・京浜東北南行きの2線を 部、 旧東北線・新幹線を 部分とする。
                              タイトル欄の数字は 撮影日

               全 景 (山手線の内側から)        2010.7.14
赤点線が 一期工事の範囲。 (4線分)


A 部分 : 4線分、高架橋本体の竣工時期:1919年(大正8年)1月頃
       現 中央線2線は 同年3月1日開通。
       現 山手・京浜東北線2線は 1925年(大正14年)11月開通

                   山手線の内側から          2010.12.10
  ↑黒門町橋架道橋                   神田大通橋架道橋↑
高架下では旅行社が営業している。 

             一期工事部分 (神田大通橋の下)      2010.12.7
左端から赤い印までが、初めに造られた4線分だが、店舗部分は改装されていて、オリジナルの柱のイメージはほとんどない。

               一期工事部分 (鍋橋の下)        2010.12.7
鍋橋下の辺では わずかに 5スパン目だけに、オリジナルのアーチ型ハンチが残る。 ( 部分 )

参考 : 第3鍛冶町橋高架橋 鍋橋通側 の 配筋図
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/鉄道省/1920年』より


B 部分 旧々東北線2線、現山手外回り・京浜東北線南行きの2線
        開通時期未確認
        1925年(大正14年)に A部と共に4線 開通したのではないか?

              二期工事部分 (神田大通橋の下)     2010.12.7
間 の2スパンで、アーチ型の梁が残っている。

                二期工事部分 (鍋橋の下)       2010.12.7
こちらは オリジナルの開口が残っている。


C 部分 旧東北線2線、現 新幹線
        開通時期 :1956年(昭和31年)11月
        撤去時期 :1989年(昭和64年)頃
        新幹線建造時期 : 1990年(平成2年)頃

             山手線の外側 (神田方向を見ている)   2010.11.21
              神田ふれあい通り             鍋橋架道橋↑ 
C部分では 東北縦貫線の工事が進んでいる。







橋脚取り付けの準備。
軌道は重機を走らせるために道路状態となっている。

             山手線の外側 (秋葉原方向を見ている)  2010.11.21
↑神田大通橋架道橋             神田ふれあい通り(神田一番街)
←神田駅 東口改札


位 置 (終戦後の様子)
中央通り         1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
      .


→東京駅
         神田駅                      外濠

第3鍛冶町橋高架橋 データ
位 置: 千代田区鍛冶町二丁目
管理番号:
道路名:
線路の数: 計 8 線 (下記 A〜C は仮の呼び名)
A: 4線: 中央線、京浜東北線・山手線
B: 2線: 山手線・京浜東北線
C: 2線: 東北上越新幹線
橋 長: ふれあい通り側で 約 80 m
アーチの数:
竣工年: A: 1919年(大正8年)1月頃
B: 1925年(大正14年)? 未確認
C: 1956年(昭和31年)2線増線
   1989年(昭和64年)頃新幹線工事で撤去
   1990年(平成2年)頃 新幹線高架橋
備 考:
名前の由来:  旧町名に由来する。
町名の由来: 江戸時代 幕府御用の鍛冶方棟梁(かじかたとうりょう)だった 高井伊織の屋敷があり、周辺に鍛冶職人などが集まっていたため。

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