山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

神田 → 東京
2. 神田大通橋 架道橋

鍋橋架道橋とは、三角形の第3鍛冶町橋高架橋を挟んでお隣同士。 中央通りに斜めに架かるガードである。
中央線部分 立面図
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行

中央線を 部、山手2線・京浜東北北行き3線を 部、第3ホーム(1・2番線)部分と 京浜東北線南行を 部、新幹線を 部 とする。

                 全 景 (山手線の内側から)      2010.7.14
 ↑鍋橋架道橋
神田大通橋架道橋は、ビルの陰になって半分しか見えていない。



A 部分 中央線2線分、開通 :1919年(大正8年)

全 景 (山手線の内側から)
道路に2列の橋脚を建てる3経間の構造て、斜めに架かっているために 全長 約 45mもある。

工事中の 大通橋架道橋 (奥)
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/鉄道省 東京改良事務所/1920年』
東京方向を見ている。 手前は鍋橋架道橋で、奥が「神田大通橋架道橋」。

三角形の形をした「第三鍛冶町橋高架橋」は 4線分が一気に建設されたが、まず中央線の2線だけが架けられた。  線路はまだ工事用の仮設のもの。

完成直後の架道橋
     架線用の鉄塔に注目↓
  神田大通り橋架道橋↑     第三鍛冶町橋高架橋↑      『 同 上 』
前の写真とは逆に 秋葉原方向を見ている。

                      ほぼ 同じ位置から             2010.7.14 
白黒写真の方は まだ線路が敷かれていない架道橋から写したものなので、ホームから撮った下の写真よりも位置が低い。 また画角も狭い。

注目すべきは、架道橋の中央に建つ2本の鉄塔である。

                   オリジナルの鉄柱           2010.12.4
 
鍋橋と同じように 上下の写真を並べる。  鍋橋では1本のT字型で済んだが、ここでは ガードの間近にホームがあって線路の間が開いているため、柱を2本建てる必要があった。 デザインは鍋橋と同じ。 そろそろ 95年になる。

                近 景 (山手線の内側より)       2010.7.14
秋葉原方向を見ている。


B 部分 現在 山手・京浜線3線。 建設時には4線
  架道橋の架設時期は 1923年(大正12年)か1924年
  山手線の開通は 1925年(大正14年)11月
  東北本線として使われていた外側の1線の位置は、現在第三ホーム。

              B部の橋脚 (神田駅方向を見ている)    2010.12.7
4線造られたうちの 内側の2線の写真。 開通当時の山手線・京浜東北線共用の線路部分である。 左側にもう2線が作られた。

         の間がB部の橋脚 (山手線の内側を見ている)  2010.1.30
ここに4線目があった。↑ 現在のものは脚柱のデザインが違う。 

架け替えられたその訳は・・・。


              終戦後 1927年の写真 6線   米軍撮影/国土地理院
                   1974年の写真 8線         国土交通省
1956年(昭和31年) 山手線と京浜東北線 完全分離時に、ホームが増設された。

結果的には線路は2線増だが、ホームを作るために まず外側の桁1線分を撤去した後で、新たにホーム用の桁 + 3本の桁が建設された。

その後 新幹線工事のために、外側の2線は再度 撤去された。



C 部分 : 第3ホーム(1・2番線)と 京浜東北線南行
        竣工:1955年(昭和30年)、開通 :1956年(昭和31年)
        建設時には3線あった。 

                   秋葉原方向を見る          2010.7.14
←         第三ホーム(1・2番線)         →     ↓京浜東北
ホームの下から。 2本の橋脚がホームを支えている。  橋脚は新しいが、位置は元の場所で基礎をそのまま利用したものだろう。 橋脚も再利用したいところだが、線路とホームでは1m以上の差があるので、昔の橋脚のままだと背の高い桁となって不経済になるため、造り直された。
右側の京浜東北線用の新設架道橋は、道路部分の柱を無くしてロングスパンとしている。 (手前には橋脚がある。)

線路幅2線分の広いホームを造ったのは、秋葉原で乗り換えてくる 千葉・茨城からの朝の通勤客を意識したものか。 それとも買収敷地に余裕があったためか。

             新幹線の下から 山手線の内側を見る     2010.12.7
前掲写真の左側。 C部の桁の下半分が見える。 駅の入口は第2鍛冶町橋高架橋であるが、「神田駅」の看板から奥が大正期の古い部分。


C部の橋台は「丸柱」となっている。  
これは当時の設計者のこだわり、「第1御徒町高架橋C部分」に残る 「フラットスラブ構造」に通じるもので、 この先に 驚きの再出現が待っている。

         C部の桁をホームから (秋葉原方向を見ている)  2010.12.21
ロングスパン部分は、珍しくハンチ付きの(次第に背が高くなる)桁となっている。



D 部分 : 現在 新幹線 2線
1956年(昭和31年)11月:山手線・京浜東北線分離時 に東北本線用として2線。
1979年(昭和54年)〜84年の間 : 新幹線工事のために 桁を撤去
1991年(平成3年)11月 :      新幹線 東京駅乗り入れ :

全 景 (山手線の外側)


位 置 (終戦後の様子)
龍閑川               1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院
       神田駅                外濠                               東京駅

神田大通橋 架道橋 データ
位 置: 千代田区鍛冶町二丁目 - 鍛冶町三丁目
  東京駅より 1K 351M 25
管理番号:  10 (東北線)
道路名: 中央通り
線路の数: 計 8 本 (下記 A〜D は仮の呼び名)
A: 2本: 中央線
B: 3本: 京浜東北線、山手線
C: 1本: 京浜東北線
D: 2本: 東北上越新幹線
  D上部 : 上野−東京ライン 2線
支 間: A: 45m 130 (3径間 )
空 頭: 高さ制限表示 なし
竣工年: A: 1919年(大正8年) 中央線開通
B: 1925年(大正14年) 山手線開通
C: 1955年(昭和30年) 増線
   1979年〜84年(昭和59年)の間に、
               新幹線工事で撤去
D: 1991年(平成3年) 新幹線東京乗入れ
備 考: 竣工時の名称は「神田大通橋」
名前の由来:  当時の通りの名前に由来する。 

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