山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −


神 田 駅
および
3.第2鍛冶町橋高架橋
5.第1鍛冶町橋高架橋

神田 - 東京間のトップのページに示したように、神田駅には 7つの架道橋 ・高架橋が関係しているため、駅舎が含まれる上記2つの高架橋が 本項にも一部登場する。


2013.11.27 : 第一、第二ホームの現況写真を追加
          高架橋の多くの部分が 鉄骨造であることを追加記載

神 田 駅 の歴史

1883年(明治16年) : 日本鉄道 上野 - 熊谷間 開通
1889年(明治22年) : 甲武鉄道 新宿 - 立川間 開業
1890年(明治23年) : 日本鉄道 上野 - 佐久間町間 貨物線開通(地上線)
                 秋葉原貨物駅(地上駅) 開業
1894年(明治27年) : 牛込まで 延伸開業
1895年(明治28年) : 飯田町まで 延伸開業
              新宿 - 飯田町間 複線化
1904年(明治37年) : 御茶の水まで 延伸開業
1906年(明治39年)10月1日 : 国有化
1908年(明治41年) : 昌平橋まで 延伸開業
1912年(明治45年) : 萬世橋まで 延伸開業。 昌平橋駅を廃止
1914年(大正4年)11月 :
 東京 - 萬世橋間 高架線 着工

1919年(大正8年) : 萬世橋 - 東京間 延伸開業。 現在の中央線の形となる
      3月1日  神田駅 開業 (甲武線2線、島式ホーム 1面
 山手線 「のの字運転」 開始
三角形の第3鍛冶町橋高架橋は 4線分造られたが、第2鍛冶町橋高架橋 以南は、3線分造られ2線の線路が敷かれた。


神田駅 平面図 (第一乗降場)


←秋葉原             第2鍛冶町橋高架橋           第1鍛冶町橋高架橋     東京→
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/鉄道省 東京改良事務所/1920年』
本ホームページの図の掲載方向に合わせて図面を回転し、上下が逆になっている。  印の位置にある 二ヵ所の入口アーチ(後に掲載)を くぐって改札口を抜け、そのまま階段を上がるとホームの端に出る。  改札手前の高架下 ふた区画には、それぞれ「売店」があった。

高架橋の構造はアーチ【拱橋】ではなく 【スラブ】形式であるが、縦に二本の点線があるように、線路と直交方向にはすべて厚い壁が設けられている。

この構造は、現在も 中央線下り部分(図面下側)のほとんどで残されている。
それ以外の部分は、関東地震の影響とコンコースの確保のため、恐らく、1925年(大正14年)の山手線開通時までに改修された。 (未確認)

参考までに、現在の状態を掲げておく。 縮尺は上図と異なる。

神田駅 平面図 (現状)


旧 北口 (仮称)

              工事中の写真 (平面図 から、ホームは奥の部分)
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/鉄道省 東京改良事務所/1920年』
東京方向を見ている。 平面図 から。 ホーム上屋はまだできていない。
の下に見えるアーチが 大通りからの入口(旧北口)である。(前掲平面図では左側) 現在は店舗として使われており、アーチも残っている。

神田駅 平面図 (北口 と 売店)
前掲平面図の部分拡大。 高架下の「売店」、記号

旧北口改札
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/鉄道省 東京改良事務所/1920年』
秋葉原方向を見ている。 前掲平面図のから撮ったもの。

第2鍛冶町高架橋 秋葉原側橋台部分 旧 神田駅入り口 アーチ (旧北口
現在の姿。 神田大通架道橋の下で 東京方向(第2鍛冶町橋高架橋)、前掲写真とは反対方向を見ている。 
左写真の左端までが、1919年(大正8年)までに造られた 第一期工事
3線分の範囲である。  
躯体はコンクリートだが、入口部分は石積み風にデザインされている。

花崗岩は火に弱いので、「オリジナルでは花崗岩が使われていたが、震災の被害を受けて、コンクリートで現在の状態に修復された」という事も考えられる。

この上部が第一ホームの端部であるが、そこにも面影が・・。


当初は 中央線の2つの架道橋の間には鉄板が無く、前掲写真のように アーチが全部見えていた。
 
部分を拡大してみると、積石造風の丸い加工が残っている。 花崗岩のように見えるが、近付けないので 確認はできない。
 

                 旧入口横の 広告スペース        2010.12.4

神田大通橋ガード下、レンガ仕上げの橋台の一部を凹ませて、広告スペースとしてある。
 
そのディテールに注目してみた。 凹み周囲の額縁部分である。

↓レンガ     ↓モザイクタイル   ↓広告スペース オリジナル? のモザイクタイル!
広告スペースの周囲がモザイク・タイル張りになっている。 何度もペンキを塗り重ねた塗装膜がふくれあがり、一部が剥がれ落ちていた。
なんと、三角形をしたタイルは、白とグレー(黒?)のツートーンカラーであった!
(震災後に修復された可能性もあるが、それでも85年が経っている・・・)


旧 南口 (仮称) および ホーム上屋

神田駅 平面図 (南口 と 売店)
旧平面図の部分拡大。 高架下の「売店」、記号

初代 神田駅
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/鉄道省 東京改良事務所/1920年』
南側から 秋葉原方向を見ている。  北側と同じデザインのアーチ型の入口があるが、南側の方が北口よりも立派な造りである。

          上の写真の現在の姿   2010.12.7
 第1鍛冶町橋 高架橋 東京駅側の橋台である。

西口として現役。 アーチの上部に架かるのは後からできたプラットフォーム。
旧北口と同様に 左右の凹み 「広告スペース」も残されているが、これらオリジナルをイメージさせる姿は、今後行われる予定のリニューアル工事で隠されてしまう恐れがある。
第一乗降場上屋 の断面図
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/鉄道省 東京改良事務所/1920年』
ホーム上屋の構造は、 鋳鉄柱(推定)に鉄製トラス梁、 木造屋根、 亜鉛メッキ鋼板葺きの屋根。 木造待合室など。


1920年(大正9年)2月 : 東京 - 上野間 高架線 着工
1921年(大正10年)3月: 同上 神田駅を含む 第二工区の高架橋工事着工
1922年(大正11年)11月: 第二工区高架橋 完成
1923年(大正12年)1月〜4月: 第二乗降場 上家新設工事
( 仮に 二期工事と呼ぶ )
 1923年(大正12年)9月関東大震災
      神田駅は火災に見舞われ、構内やホーム上屋は焼け落ちた

震災の被害状況
『関東大地震震害調査報告 掲載写真』第二巻 鉄道/土木学会 より
南から駅を見ているが、完成した第二ホームの上屋も含めて、まったく無くなっている。

この被害のため、神田駅第一乗降場(ホーム)のオリジナル建屋は残っておらず、震災からほぼ2年後に開業した御徒町駅と同じデザインで、アングルトラス構造の 2面のホーム上屋が造られた。

何年に完成したのかは不明だが、同じ1925年(大正14年)だったと思われる。                     ( 仮に 三期工事と呼ぶ )

                     第一ホーム(中央線 5・6番線) 上屋の様子           2010.9.24
第二ホーム(3・4番線)

W型の屋根。 下部をアーチにした リベット止めのアングルトラス。
ターンバックルでつなぐ タイ・ビームや水平ブレースなど、御徒町駅と完全に同じデザイン。

 1925年(大正14年)11月 : 東京 - 上野間 開通
 山手線 環状運転開始
    ・ 品川までだった京浜電車(京浜東北線)が、上野まで延長
    ・ 神田駅は2面のホーム、線路は東北本線と山手線を加えて6線となった

参考 : 終戦後 1947年(昭和22年)7月の様子
米軍撮影 /国土地理院
大正末の時点では、通過する東北本線が「直線」となっており、理想的な線形である。 この状態を考えて、当初から中央線のホームを大きく膨らませて計画しているところは、さすが「将来を見据えた国鉄の計画」である。

環状運転開始時の神田駅から秋葉原方向を見る
進入する中央線、右の列車は東京駅発東北本線か。  『省線電車史綱要』より
増設ホームの屋根の上から撮影したものと思われる。

現在の姿                        013.11.26
屋根には登れないので ホームから。 

ふたつのホームの間に立っていた T型の架線柱が撤去されたぐらいで、100年近くを経た割には大きな変化はなく、街の様子や新幹線の新設に較べると ほとんど変わっていないと言える。 マイナーチェンジは、左側第一ホームの端部にホーム事務所が建てられた事、第二ホームの屋根が延長された事、ホームのレベルが嵩上げされた事など。
東北本線だった位置には 山手線外回り電車が走っている。

は 1919年(大正8年)、は 1925年(大正14年)頃に建てられた架線柱。
もうひとつ、架道橋に合わせて斜めだった第二ホーム端部に、三角形が付け足されて整形されている。


二期工事で造られた 現在の東口

神田大通架道橋の下で 東京方向(第2鍛冶町橋高架橋)を見ている。
5スパン ・3線分で、見えている橋台部分の構造はRC柱梁形式であるが、駅構内には鉄骨造が混在している。

床が二段になっている構内   2010.9.14
この二段ステップのスタイルは、東京駅北通路、新橋、秋葉原、大塚など 当時の色々な駅に用いられたが、民営化後の改良工事で、各所でフラット化されている。  神田駅も 現在大改装中で、このエスカレーターはすでに無い。


 1931年(昭和6年)11月 : 地下鉄神田駅が開業
      国鉄神田駅とは第2鍛冶町橋高架橋内から階段で連絡。

地下鉄へ下りる階段 階段の場所 山手線の内側から(第3鍛冶町橋高架橋)
以前は高架橋の「地中梁」のために、階段下部で頭がぶつかるような状態だったが、改良工事で改善された。 階段は 登り・下りの2本がある。


この状態が、戦後まで続く。

終戦後 1947年(昭和22年)7月の様子
米軍撮影 /国土地理院 サイズ:400×205
出入り口はすでに現在の状態になっていたのではないだろうか。
現在の北口はまだできていないかも知れない。 (未確認)

この時点では、通過する東北本線が「直線」となっており、理想的な線形である。 この状態を考えて、当初から中央線のホームを大きく膨らませて計画しているところは、さすが「将来を見据えた国鉄の計画」である。
東側にあと2線を増設するための敷地は 買収済み。


東京 - 秋葉原間 8線化
8線 となった状態
国土画像情報 CKT-74-15/C28A/国土交通省
     部分的に線形を変更して幅の広いホームを造り、2線が追加された。

 山手線 と 京浜東北線 分離運転開始
1956年(昭和31年)11月 : 第三ホーム と 2線増線が開業
               (駅部分では1線を取り壊して、ホームと 3線を新設)

                  直線部は 山手線            2011.8.25
3本あった大正末の直線形状のうち、↑2本はそのまま使われている。↑
↑この時に造られた東北本線部分は、東北新幹線に使われた。


新幹線の建設
 1982年(昭和57年) : 東北・上越新幹線 大宮以北開通
 1985年(昭和60年) : 新幹線 上野地下駅乗り入れ
    旧東北本線部分を撤去し、新幹線の高架橋を新設する。
 1991年(平成3年)6月: 新幹線 東京駅乗り入れ

             駅の横を通過する新幹線     2010.7.14
山手線の外側より。 二階建て工事が駅に迫って来た頃の様子である。


東北縦貫線工事
上野 - 東京間を結び、宇都宮線(東北本線)・高崎線・常磐線 3線と 東海道本線とを直通運転することによって 乗り換えをなくし、通勤ラッシュを緩和する狙いがある。

神田駅付近以外は従来の東北本線を使うが、新幹線で使われてしまった神田駅付近では、新幹線の柱に高架橋を継ぎ足し 二階建てとなる。

常磐線などと東海道線をつないて直通運転することは、昔からの「悲願」であり、国鉄時代以来 将来計画がしっかりしているJRは、新幹線建設時に縦貫線用の荷重も見込んで設計した。  現在さかんに工事が行われている。

現在 完成予定は 2013年度となっているが、はっきりしない。

             神田駅付近      2010.7.14             神田 - 東京 間     2010.7.14

新設線路の勾配は 千分の33。
本締め 完了


駅名 神田 の由来

地名「神田」に由来する。

神田の地はもと 伊勢神宮の 御田(おみた)があった所といわれている。
御田は 御神田(おみた、おんた)あるいは 神田(しんでん)とも呼ばれる寺社の領田のことである。 神田は「かんだ」ともいわれ、当地の地名となった。

神田を守る・鎮めるために創建されたのが「神田の宮」、現在の神田神社(別名神田明神)である。


神田神社

大黒様、恵比寿様、平将門を祀った 江戸総鎮守。
初めは神田の「平地」にあったが、江戸城の拡張に伴って現在の位置に移った。

秋葉原横の「明神坂架道橋」に載せた写真が 再登場。

神田神社

 

古レールによるホームの屋根

御徒町駅と同じように、昭和中期にあとから作られた 「新ホーム」の方に使われている。

1 ・2 番線の屋根
柱とそれをつなぐ桁は 鋼材を溶接加工したものだが、それと直交する細い梁として古レールが使われている。
柱部分では、上下で X 型に組んでいる。 これも御徒町駅と同じ。

Top Menu へ 山手線が渡る橋・くぐる橋 高橋俊一 鉄骨造の神田駅 へ