山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋
東 京 → 有楽町

番外. 仮称 丸の内 築堤
1.鍛冶橋寄 高架橋

新銭座 - 永楽町間 高架橋の北の端。 東京駅の南側から 鍛冶橋架道橋に至る部分には、オリジナル構造物がある。 正確には高架橋ではなく 盛り土のための擁壁なので、仮称を付けて番外とする。 

駅構内の部分は一部を除いて、ほとんどが取り壊されれたものと思われる。 擁壁には少しだけ奥行きがあるので、そこに店舗などがはいっている。

また、仮称 丸の内高架橋の西側(山手線の内側)に、後から付け加えられた「鍛冶橋寄高架橋 10スパン」があって、区間として完全に重複しているので、同じ項で取り上げる。

東京駅平面図 南西の一画
神田側 有楽町側
『東京市街高架鉄道建築概要/鉄道院 東京改良事務所/1915年』に加筆
ホームページの進行方向に合わせて、図面は逆転している。 をつけた部分に連続しているのが擁壁で、外観は 新橋・有楽町に設けられた高架橋と 同じデザインで造られた。

招聘されて高架橋の設計を行ったドイツ人技術者、フランツ・バルツァーが提案した東京駅の設計図にも、立面図の背景に この擁壁が描かれている。 

この立面は中央に位置する皇室用の乗降口なので、前掲の平面図に印した 赤丸 とは位置が異なる。

工事中の写真
『東京市街高架鉄道建築概要/鉄道院 東京改良事務所』に加筆
右側で基礎工事中が 東京駅の南端ウィング部分。 遠くに 帝国ホテルが見える。

竣工当時の擁壁

『東京市街高架鐵道建設概要』 鐵道院東京改良事務所 / 1914(大正3)年 より
右側に連続アーチが写っている。

赤丸部分 の現状           2013.2.2
左端の建物が駅の南ウィング。 ここは現在、ステーションホテルの従業員通用口となっている。メダリオンの跡も残っている。


東京駅間近の擁壁           2013.2.2
奥行きの少ないアーチ部分は、ハトバスの受付カウンターや待合所として使われている。 ハトバスが借りている部分の仕上げは、上からレンガ模様のシートを張り付けたか 塗装したもの。 へたな工事、あるいはずれてしまったのか、模様が斜めになっている所もある。 
一部剥がれたところ では、100年前のオリジナルレンガが見えている。

塗り込められたメダリオン
この橋台ではメダリオン(円形の浮き彫り装飾)が塗り込められてしまっている。 損傷が激しかったのかもしれない。

内 部
レンガアーチは 当然?雨漏りがするので、折板屋根が架けられている。

から先が「鍛冶橋寄高架橋」        2013.2.2
中央線の引き上げ線を設けるために、戦前に造られた「鍛冶橋寄高架橋」は徐々に幅が増えるのと、ここから続く歩道の幅は変わらないので、注意しないと気がつかない。

仮称 丸の内高架橋 ・・・ と 鍛冶橋寄高架橋 の位置   2012.3.8
・・・から 左側にはみ出している部分が 「鍛冶橋寄高架橋」で、およそ 6両分の長さである。
トップに掲げた平面図に拠れば、現在の京浜東北線北行きの線路は、竣工当初から 現在のように第一乗降場へと敷かれていた。 終点である中央線の入れ替えが必要なためだろう。

 
ここから、鍛冶橋寄高架橋

はとバス乗り場が続く         2013.2.2
四角い柱から奥が 鍛冶橋寄高架橋。 10スパンのうち、初めの3スパンは柱・梁形式の構造で、残りはレンガ造と同じデザインの アーチ形式。 いずれも鉄筋コンクリート(RC)造である。

アーチ形式
東京駅方向を見ている。

打ち放し状態のままの部分も
表面のコンクリートは 風雨で洗われている。

ふたたび オリジナルの擁壁        2012.3.8
左側が鍛冶橋寄高架橋の端部。 ここに、擁壁の構造がよくわかる部分が残っている。 少なくとも2009年11月までは 雀荘があったが、取り壊されて アーチがコンクリートで補強された。


鍛冶橋寄高架橋 と 仮称 丸の内高架橋        2013.2.2

よく見ると、壁が湾曲しているのがわかる。 土圧を受けるので、アーチダムのように平面的にもアーチ状にして、壁を薄くする工夫だ。 
(カーソルを載せると点線表示)

頂部の装飾は 色違いの黒いレンガ      2012.10.5
笠石は御影石(花崗岩)。

店舗として使われている部分       2012.10.5
有楽町寄りの最後のスパン、 右側は 鍛冶橋架道橋。

喫茶店 KoKo の内部          2012.10.5
天井はコンクリートで補強済み。 再度 強度チェックが行われているようで、工事が必要な場合は、店舗を退去しなければならない。
店内の撮影は、店長の了解済み


位 置 (終戦後の様子)
            1948年(昭和23年)3月の空中写真/国土地理院
東京駅                                有楽町駅

仮称 丸の内擁壁 データ
位 置: 千代田区丸の内一丁目
管理番号:  −
道路名:  −
線路の数:  −
橋 長: 約 225 m (東京駅舎南端から)
アーチの数: 間で 25スパン
竣工年: 1910年(明治43年)9月 呉服橋仮駅まで
備 考: 擁壁は 東京駅の北側まで続いている。



名前の由来:  丸の内の 高架橋(擁壁)


鍛冶橋寄高架橋の 位置 (終戦後の様子)
            1948年(昭和23年)3月の空中写真/国土地理院
東京駅                                有楽町駅

鍛冶橋寄 高架橋 データ
位 置: 千代田区丸の内一丁目
管理番号:  −
道路名:  −
線路の数:  元 1本、留置線。 現在は無し
橋 長: 約 140 m
アーチの数:  10
竣工年:  未確認 昭和初期のようだ
備 考: 1937年(昭和12年)の配線図には 載っている。


名前の由来:  東京駅の 鍛冶橋架道橋側の高架橋

タイトルの地図について : 地図サイズ 299×94
明治42年(1909年)測図、 大正5年(1916年)第一回修正測図 1万分の1地図
「日本橋」に加筆            大日本帝国陸地測量部/国土地理院 発行

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