山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋
有楽町 → 新橋

4. 第3有楽町橋 高架橋(後半)

で囲われた範囲が 第3有楽町橋。 ここでは、有楽町中央口架道橋以南の後半部分について 簡単に取り上げる。 有楽町の名前の由来と レンガ高架橋の構造 については、別項を参照のこと。

:第4有楽町橋高架橋 第3有楽町橋高架橋 :第2有楽町橋高架橋
高架橋に、山手線の内側から 以下のような仮称を付ける。 





TX
 : 元 4線
 プラットホーム
 : 1線

 : 3線分
 : 新幹線
 : 1909年(明治42年)12月 烏森-有楽町間 開業
 : 1951年(昭和26年)11月竣工
 : プラットホームと同時に施行
    山手・京浜東北完全分離は 昭和31年
 : 1942年(昭和17年)7月までに増線
 : 1964年(昭和39年)開通




A 部分 : 電車線 旧東海道本線 計4線分 
   1909年(明治42年)烏森-有楽町間 開業

建設時には4線造られたが ホームは1面で、第3有楽町橋に改札口があった。 
有楽町駅 旧南口
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/鉄道省 東京改良事務所/1920年』
東京方向を見ている。 手前の架道橋は次項で取り上げる 第2有楽橋高架橋。

山手線の内側から           2013.9.
現在の中央口通路からは わずか2スパンを残すのみ。 その一つは「日比谷口」として使われている。 右奥に見えているのが 第2有楽橋架道橋。

道路が斜めに横切っているので、山手線の外側にはさらに 3つ半のアーチがあるが、外からは分からない。

A部の 山手線の外側           2012.3.29
部の下から 日比谷口(山手線の内側)を見ている。 手前が 銀座口。
中央口が整備される前は、数寄屋橋や銀座への行き帰りには 必ずここを利用した。
アーチ状になっている 部分。 ここも第4線が切り取られているが、化粧パネルで仕上げられているので、レンガは見えない。



T 部 3 線分 : 1942年(昭和17年)7月 竣工、現 東海道本線

銀座口              2012.3.29
前例写真から銀座口を出て、新幹線下の通路から。 RC造の高架橋。



TX 部分 : 東海道新幹線 2線 : 1964年(昭和39年)10月
     東京オリンピック開催に合わせて開通

山手線の外側     2013.3.29
銀座口を出て、新橋方向を見る。 巨大な鋼鉄製ボックス桁の新幹線は、連続した「橋梁」となっている。

デザインされた橋脚は終わる       2013.3.18
右側駅一帯が改装され、床がタイル張りになって 明るくなった。



位 置
1948年(昭和23年)3月の空中写真/国土地理院
有楽町駅                               新橋駅
写真サイズ 400 ×135 ドット

第3有楽町橋 高架橋 データ


位 置: 千代田区有楽町二丁目
管理番号:
道路名:
線路の数: 8 線 (下記 A〜TX は仮の呼び名)
A: 3線: 京浜東北線、山手線
B: 1線: 京浜東北線 南行き
T: 2線: 東海道本線
TX: 2線: 東海道新幹線
橋 長: 約 110 m
アーチの数: A部 山手線の内側で 15、外側は 20
竣工年: A: 1909年(明治42年)12月
         烏森-有楽町間 開業
B: 1951年(昭和26年)11月 竣工
T: 1942年(昭和17年)7月までに増線
TX: 1964年(昭和39年)開通
備 考: 有楽町駅構内、 有楽町の由来 ・A部の構造 は別項を参照
名前の由来: 江戸時代初期に 小田有楽斎の屋敷が付近にあったとされる事に由来する。

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