山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 | |
有楽町 → 新橋 |
12. 内幸町橋 高架橋 |
写真は新橋方向を見ている。 ▼印の間が 内幸町橋高架橋。 山手線の内側から 以下のような仮称を付ける。 撮影: 2012.8.20 |
新橋駅 → 首都高 八重洲線 |
A部 T部 TX部 |
: 4線 : 2線 : 2線 |
: 1910年(明治43年)6月 烏森-有楽町間 開業 : 1942年(昭和17年)7月までに増線 : 東海道新幹線1964年(昭和39年)開通 |
A 部分 | : 電車線 と 旧東海道本線 計4線分 1909年(明治42年)烏森-有楽町間 開業 |
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内幸町橋高架橋 北端 2013.4.10. | ||
内幸橋 架道橋 |
→ 新橋方向 |
耐震補強工事 | |
ここには 1935年(昭和10年)頃に施行した 「3ホ鋼拱」 が、むき出しの状態の場所が残っていた。 そのため、1995年の阪神淡路大震災をふまえて補強工事が検討され、2011年の東北大震災以前に、耐震補強工事は始まっていた。 |
2010年の第8径間の状況 2010.9.20. |
写真の2スパンは 現在は牡蠣系の飲食店で、レンガアーチは基礎が深いため、店舗の床レベルは「半地下」となっている。 |
2013年の第7径間の様子 2013.4.10. | |
店舗より 撮影許可取得済み |
店舗が第7径間。その左隣、第8径間はコンクリートで補強され、「3ホ鋼拱」(2010年の前掲写真)は見えなくなった。 裏側(山手線の外側)に行ってみると、補強の様子がよくわかる。 |
第7径間の内側 2014.4.25. |
T 部の下から 山手線の内側(西方向)を見ている。 なんと! 第7径間の端部の1本だけが 露出した状態で見えていた。 |
(フラッシュ使用) |
中途半端な残し方ではない。 コンクリート型枠は、端部の鉄桁1本との間を開けて組まれ、完全に桁が見えるようにしてある。 まるで 昔の工事記録を
記念碑として残してあるように思えた。 しかし、錆びだらけのまま塗装がされていない。 どういうことだろうか? ほかのスパンはアーチの端までコンクリートが打たれている。 |
第10径間 |
1971年(昭和46年)に行われた補強のまま、何年間もこの状態。 再度工事をするのか、それともテナントの入居待ちなのか? |
幸 橋 | |
内幸町橋高架橋の南部 2径間は、旧外濠を跨いでいた。 |
内幸町橋の濠側 |
『省線電車史綱要』/1927 より。 次の写真も |
北方向を見ている。 ちょうど 内幸町橋の10径間すべてが写っている。 手前のふたつのアーチはほかの8つとは異なり、「アーチ橋」のデザインとなっているのが よくわかる。 これぞ「新幸橋」である。 構造の違い : アーチが始まる位置(起拱点)が 低い |
デザインの違い : 壁柱(デザイン的な付け柱)がある アーチ下部に隅石があったが、今は地中に埋もれている |
有楽町側の壁柱 | 新橋側の柱 ↓ |
山手線の内側である。 ここの西側に江戸時代、「幸橋」が架かっていた。 左の写真では、柱の左右のアーチの状態が違うのがよくわかる。 |
一般の橋脚 | 第1 と 第2 の間の橋脚 |
みっつの「窓」の高さが違う |
幸橋についての説明は、「内幸橋 架道橋」の項で詳しく説明したので、本項では省略する。 次項の「幸橋 架道橋」にその名前が引き継がれている。 |
山手線が渡る橋 2014.4.25. |
手前のトラックが邪魔! なかなかどかないので諦めました。 |
T 部 2 線分 | : 1942年(昭和17年)7月 竣工、 現 東海道本線 |
T部は柱梁形式(ラーメン構造)で、2014年現在、その下は空いたまま使われていない。 |
T 部 北端 2014.4.25. | ||
新幹線 |
A部 |
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柱の耐震補強が行われている間は 入れなかったが、現在は 新幹線下の一部が駐車場として利用されている。 |
耐震補強済み 2014.4.25. |
TX部 T 部 |
突き当たり、新橋側は飲食店舗が入居している。(次の写真) A部↑ |
幸橋架道橋に出入口があり、T部だけでなく、A部・TX部も利用している。 ここは 新幹線部との隙間で、通路となっている。 |
TX 部分 | :東海道新幹線2線:1964年(昭39年)10月 東京オリンピック開催に合わせて開通 |
TX部 2014.4.25. |
T部の下は未整備だが、新幹線の下は時間貸しのパーキングとなっている。 外側(山手線の外側)には高速道路が接しており、側面の写真は撮れない。 ここも鉄板による耐震補強済みである。 |
有楽町方向を振り返る |
T部 TX部 首都高 |
TX部 南端 2014.4.25. | ||
幸橋架道橋 | 首都高ランプ | |
山手線の外側。 高速道路が東にカーブして離れた部分。 かつて 外濠と汐留川がここにあった。 |
1948年3月29日撮影の空中写真/国土地理院. | ||
新橋駅 |
外濠 |
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川沿いの民家 |
位 置 |
1948年(昭和23年)3月の空中写真/国土地理院 |
有楽町駅 新橋駅 |
写真サイズ 400 ×135 ドット |
■ 内幸町橋 高架橋 データ | |||
位 置: | 千代田区内幸町一丁目 および 港区新橋一丁目 | ||
管理番号: | − | ||
道路名: | − | ||
線路の数: | 8 線 (下記 A〜TX は仮の呼び名) | ||
A: 4線: 京浜東北線、山手線 T: 2線: 東海道本線 TX: 2線: 東海道新幹線 | |||
橋 長: | A部で 463.3尺、約 140 m 『東京市街高架鉄道建築概要』による | ||
アーチの数: | A部 10 | ||
竣工年: | A: 1910年(明治43年)6月 烏森-有楽町間 開業 T: 1942年(昭和17年)7月までに増線 TX: 1964年(昭和39年)開通 | ||
名前の由来: | 内幸町を通る高架橋 | ||
タイトルの地図について : 地図サイズ 299×94 |
明治42年(1909年)測図、 大正5年(1916年)第一回修正測図 1万分の1地図 「日本橋」に加筆 大日本帝国陸地測量部/国土地理院 発行 |
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