山手線が渡る橋・くぐる橋 | − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − |
日暮里駅 |
番外 1. 北口 コンコース と ホーム |
2010年4月14日 掲載 |
2011年9月27日 古レールによるホーム上屋 を訂正 |
2012年2月17日 ホーム上屋に関して追加・訂正記載 |
2014年2月18日 10番線が増築端仕様だった事が確定し、訂正・加筆 |
まず、JR日暮里駅の新しい部分から。 線路の上部を利用して、2009年(平成21年)の中頃に 広いコンコースがオープンした。 |
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北口コンコースの大空間 | |
駅北側の「跨線橋」であるが、店舗・コンコース・改札口・発券口・改札外の通路・事務室・外の店舗からなっているので、とても「橋」とは言えない広い面積がある。 普通の駅ならここにホームへの階段が並ぶのだが、東北本線と新幹線 計6本分は通過する線路だけなので、商業スペース「エキュート」となっている。 京浜東北線・山手線の下り口が、右奥に見える。 |
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あわせて、「駅」+「キュート」(かわいい・格好いい) の意味合いも持たせているのだろう。 |
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北口コンコース 京成の乗り換え口 と 常磐線への階段 | |
外 観 | |
奥にある 白い屋根の高架部分は、京成電鉄の新ホーム。 |
改札口(写真右側)と外通路(東口方向) | 西口への階段 |
下御隠殿坂橋から 駅への入口 | |
残念なのは、改札口のすぐ北側にある「下御隠殿坂橋」とは一体として計画されておらず、非常に折り合いが悪い事だ。 西口はご覧のような階段。 東側も、橋への出口には階段がある。 西側は まだこれから改良されるのかも知れない。 東口地上部へは、階段以外にエレベータやエスカレータがある。 |
コンコースの下 |
面積が広い分、その下は柱・梁に覆われて 暗くなる。 |
日暮里駅 |
昭和の遺産 |
古レールによる ホームの屋根 |
日暮里駅ホームには古レールによる背の高い屋根が残っている。 その特徴は、線路敷きに柱を立てて ホームに柱が無いことである。 |
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無柱空間 (11・12番線、増築部分) | |||||
西日暮里方向を見ている。 11・12番線は、1956年(昭和31年)開通部分。 それから50年以上・・・。 レールの余命は少ないと思う。 |
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北側から見たホームの屋根 (山手線の内側から) |
3本のホームの内、3・4番:常磐線と 11・12番の屋根がほぼ同じ形式で、古レールが残っている。 |
日暮里駅ホームの不思議 | |
・なぜ レールの梁が あちらも こちらも 「切断」された状態なのか? ・なぜ 9・10番線の屋根だけが更新されているのか? ・11・12番線は後から作られたのに、なぜ 連続アーチの屋根なのか? (かつての連続屋根構造は、4ホーム、3番線から10番線までだった) ・なぜ 廃墟のような無惨な状態で古レールが放置されているのか? |
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まず、現状のおさらい。 跨線橋が多いので、実際に駅でも A から D の名前が付けられている。 できるだけ進行方向(鶯谷方向)を見た写真で説明したい。 |
常磐線3・4番 9・10 11・12 | |
跨線橋 D |
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跨線橋 C 紅葉坂橋 跨線橋 B エキュート コンコースA |
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下御隠殿坂橋 | |
5〜8番線は欠番(旧東北本線のホーム) ↓西日暮里 |
確認事項: |
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地図に詳しい K. I さんに戦前の空中写真が公開されている事を教えていただき、4本の屋根があった事を確認した。 終戦後の写真では、東北本線の上屋が撤去されている。 |
当初はこれらの事実をチェックせずに検討して、電車線増設時に「東北本線の上屋を移設・再利用」 という間違った結論を出していた。 |
4面のホーム |
1936年(昭和11年)6月11日の空中写真/国土変遷アーカイブより |
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1939年(昭和14年)の写真 Wikipedia による |
想定される撮影位置 |
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3番線側 端部 | 4番線側 | |||
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3 ・ 4 番線 | それぞれのホームの様子 |
3 ・ 4番線 : 常磐線 | |
跨線橋 B から下りる階段の途中から。 (1 ・2番線は京成電鉄) このホームの竣工時期は日暮里駅の全面移転新築時で、1928年(昭和3年)の下御隠殿坂橋 開通に合わせて行われたものと思われる。 ホームが拡張されたため、現在、この古レール屋根はほとんど残っていない。 |
建 築 年 : 1928年(昭和3年)の下御隠殿坂橋完成時 または その少し前 残っている柱の数 : ホームを跨ぐ 2本柱 12本 柱 間 隔 : 約 5.5 m (6ヤード)、 桁つなぎ : レールによるアーチ 棟 高 さ : 高い 屋 根 : 山型、波形スレート、 母屋 : 木製 |
3番線側 2009.12.13 |
”端部仕様”のオリジナルのままの部分。 京成線は高架駅ができてここの線路は撤去されたが、以前はJRとほんとうに隣り合わせだった。 この敷地をJRが購入(あるいは賃貸?)することになった。 |
京成線のホームから 鶯谷方向を見る。 |
京成線地上部の線路が空いたため、JRが購入または賃借して 3 ・4番線のホームが拡張された。 上屋も更新されて、古レールはほぼ消えてしまった。 前掲写真の柱の位置に、新たなレールが通されたのだから しかたがない。 |
拡張された3番線 2013.11.26. |
上野方向を見ている。 ↑______拡張部分______↑ この部分は京成線側に柱を立てて、ホームの3番線側には柱が無い。 |
とりあえず残った柱 |
西日暮里方向を見ている。 4番線の階段に関係する 3本だけが残された。 いずれ無くなるだろう。 |
ホームに新しく建てられた柱から、アクロバティックに支えられている 昔の梁。 この部分は、木製の母屋も 少しだけ残っている。 |
3番線 北端 |
三河島方向を見ている。 右側に京成線の下り線路があった。 ホーム北端の拡張幅は80センチ程度。 線路の付け替え工事は 2013年10月20日に行われた。 この写真を撮った時点では、ホームの床は まだ仮設だった。 |
東北本線ホームの撤去: |
東北新幹線は 1982年(昭和57年)に大宮までが暫定開業され、上野地下駅に乗り入れるために、日暮里駅では東北本線の二つのホーム(旧5番線〜8番線)が撤去された。 すでに前掲の 1974年(昭和49年)の写真で、ホームの解体が行われているような気配があるが、そんなに早くから取りかかっていたのかどうか? Wikipedia によると、解体工事は1977年(昭和52年)。 |
左 常磐線ホーム と 通過する東北本線 |
跨線橋 B から。 コンクリート部が新幹線↑ |
9 番線 | ・ 10 番線 | それぞれのホームの様子 |
4連の両サイド(端部)は、3番線と 10番線、ということになる。 現在の9・10番線の上屋は造り直されてしまっているが、一ヵ所だけ、オリジナルの古レールが残っている。 「跨線橋 C」 の 10番線側である。 |
跨線橋C部分の オリジナルの梁 |
運良く残っているのは ほんの4m程度だが、緩やかなカーブの形状は 常磐線ホームと同じである。 ▼部で柱とつなぎ直されている理由が 今のところ不明。 単なる部材の再利用かも知れないが、この柱は、1956年(昭和31年)に 11・12番線(山手線の内側ホーム)が増線された時、二つのホームに連続した上屋が掛けられていた状態を再現している、唯一の柱である。 |
なぜ 9・10番線の屋根は更新されたのか? |
9・10番線の上屋が更新され、跨線橋Cが建設されたのは (空中写真の比較によると)1974年から 79年の間で、東北新幹線が上野地下駅を目差すトンネル工事に伴うものだった。 |
9 ・10 番線 の現在の屋根 |
9番線:京浜東北線 南行き、10番線:山手線外回り |
新しい屋根は 「谷型」の現代スタイル。 ホームに柱が立っている。 ここも かつては、古レールによる 同じ「山型」の屋根が架かっていた。 東北本線のホームを2本潰しても それほど余裕は生まれず、新幹線をギリギリで通すためには、アーチの柱を撤去せざるをえなかったのである。 |
工事をするためには もっと線路寄りまで掘削するので、たとえ 元の柱が ▼の位置にあったとしても、支障が出ただろう。 |
9・10番線の上屋 更新、跨線橋C 新設 |
(1979年の空中写真) |
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新幹線の建設時に 9・10番線のオリジナル屋根は撤去されたため、現在残っている柱の10番線側は「切り落とし」の状態となっている。 |
跨線橋 B から見た 9 ・10番ホーム |
更新された上屋 10番線 山手線外回り 11番線 山手線内回り |
鶯谷方向を見ている。 見えているのは 紅葉橋 と 跨線橋C、南口。 |
オリジナルの屋根の跡 (▼印) |
西日暮里方向を見ている。 跨線橋 B に撤去された屋根の跡が残っている。 左側に後から作られた屋根よりも幅が広かったことがわかる。 |
11 番線 | ・ 12 番線 | 戦後の増線 |
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11番線:山手線内回り、12番線:京浜東北線 北行き |
新設された屋根は 常磐線のアーチ型とは少しデザインが違って、下材が直線である。 増築前は、ここには右から斜面(土手)が迫り出していた。(1948年の写真参照) |
増 築 年 : 1956年(昭和31年)11月 開通 残っている柱の数 : ホームを跨ぐ 2本柱 13本 柱 間 隔 : 約 5.5 m (6ヤード)、 桁つなぎ : レールによるアーチ 棟 高 さ : 高い 屋 根 : 山型、波形スレート、 母屋 : スチール・アングル |
11番線:山手線内回り | 12番線:京浜東北線 北行き | |
崖が迫っているため、柱は壁に斜めに定着されている。 |
一番下側、山手線の内側に新ホーム | |
(1974年の空中写真) | |
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後から作られたのに、なぜ アーチが連続していたのか? |
10番線までしかなかったホームの隣に 11 ・12 番線が増設された。 増築の事実がはっきりしているのだから、答えは簡単。 継ぎ足しである。 今まで気にも留めなかったが、調査を始めた頃は、「増築のはずなのに 初めからあるように見える」 のが不思議だった。 しかしよく見れば、増築の跡がちゃんと残っている。「錆」に惑わされたのである。 ただし、単純な増築ではなさそうだ。 |
3番線 端部 オリジナル | 4番線 中間部 オリジナル | 10番線 旧端部 ? | ||
現存する。 | 中間部は当然「左右対称」である。 |
建設当初、4連の両サイド(端部)は、3番線と 10番線、である。 増築を考えなければ、形は3番線と対称形の ”端部仕様”となる。 ところが、実際に残っている柱はY字型であり、「増築端 仕様 」だったのだ。 Wikipedia 日暮里駅の項に、跨線橋からの転落事故の報道写真が載せられており、確認することができた。 |
1952年(昭和27年)6月の現場写真 |
Wikipedia より |
事故が起きたのは 新駅移転時に造られた南側の跨線橋端部で、壁の羽目板が破れて乗り換え客が落下し、運悪く 10番線に進入してきた北行き電車に轢かれて、8人が亡くなったそうだ。 当時は構内の跨線橋が2本しかなく、常磐線から 田端 ・鶯谷方面に向かう人たちと、逆に常磐線に行く人とで混雑したのだろう。 |
1948年(昭和23年)3月29日 撮影の空中写真 |
写真サイズ 400×251 ドット 撮影は米軍/国土地理院 |
当時の9 ・10番線は、山手線と京浜東北線が共有していた。 10番線の外側に写っている柱は対称形の「Y字型」で、上下2本の長い梁(増築端)が対称形に伸びていることが確認できた。 昭和初年の 新駅建設時点で、もう1本 ホームを増設することが決まっていた事になる。 |
10番線 と 11番線の間の柱 (現状) | |
西日暮里寄りに4本残っている柱 | その他 多数の柱 |
左の4本は、背中合わせの2本の柱レールの片側が バーナーで切り取られ、灰色のH形鋼で補強されている。 元は同じだったものが、山手線の車両幅を片側5cmずつ広げる時に、クリアランス不足で削られたもの と考えられる。 4番線 中間部オリジナルとの最大の違いは、最上部のレールが「二段重ね」で継がれている点と、左右が非対称、つまりは造り直されている事である。 増築側は「溶接」で加工されている。 |
増築部分 |
▼部にプレートが添えられて、柱と梁が溶接されている。 マウスを載せると赤く網が掛かる部分が 新設部分。 オリジナル部の接合はリベット止めだが、新設部材に関係する箇所はすべて溶接である。 ただし、新設屋根本体部はリベット止めで造られている。 |
同様の形は、1925年(大正11年)に山手線が環状運転を開始した時の上野駅で採用されていた。 高架ホームはまず第一ホームだけが完成し、線路敷きの柱は増築を考慮して造られている。これと同じスタイルだったのではないだろうか。 下図は『東京市街高架線 東京上野間建設概要』(1925年(大正11年)11月鉄道省発行)に載っている実施図面である。 |
上野駅 1 ・2番線ホーム 断面図 |
1925年(大正14年) 山手線環状運転開始時の第一乗降場 |
右側の、線路の中央にあった柱が「増築端仕様」である。 左側は上野公園への坂道があり、「端部仕様」の柱の状態は現在も残っている。 |
以上より、屋根の変遷を 模式図で示してみた。 |
建設時の状態 4連の屋根 | ||||||||||||
⌒ | ⌒ | ⌒ | ⌒ | ←屋根の形 | ||||||||
3 ・ 4 番 |
5 ・ 6 番 |
7 ・ 8 番 |
9 ・ 10 番 |
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常磐線 東北本線 東北本線 山手・京浜線 | ||||||||||||
増築端仕様 | ||||||||||||
↓ | ↓ | |||||||||||
ホーム増設前の状態 | ||||||||||||
⌒ | ⌒ | ←屋根の形 | ||||||||||
3 ・ 4 番 |
5 ・ 6 番 |
東北本線 通過 戦前に 上屋を撤去 |
7 ・ 8 番 |
9 ・ 10 番 |
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↓ | ↓ | |||||||||||
1956年 ホーム増設後 の 状態 2連の屋根 | ||||||||||||
⌒ | ⌒ | ∧ | 新設 | |||||||||
3 ・ 4 番 |
5 ・ 6 番 |
東北本線 通過 |
7 ・ 8 番 |
9 ・ 10 番 |
11 ・ 12 番 |
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↓ | ↓ | |||||||||||
新幹線建設後 の 現状 | ||||||||||||
⌒ | 新しい上屋 | ∨ | ∧ | |||||||||
3 ・ 4 番 |
東北本線 通過 |
新幹線 |
9 ・ 10 番 |
11 ・ 12 番 |
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常磐線 | ホーム撤去 |
国鉄の「標準設計」としてのリベット仕様は 1957年(昭和32年)までであった。 戦争を挟んだために、新駅建設からホームの増設まで 約30年も時間が経ってしまったのに、古い柱を利用したことと リベット留めの古レールが使用されたことで、常磐線と同じような雰囲気の上屋ができあがった。 |
構内の様子 |
木造の破風内壁 と スレート屋根 11・12番線 |
母屋はスチール・アングルが使われている。 |
11番線から 10番線を見る |
西日暮里方向を見ている。 一番手前は、唯一現在でも 11番線と10番線を繋いでいる柱である。 横断している跨線橋は 紅葉坂橋。 |
ビームをホームの柱から釣っている 斜張形式 |
9・10番線のホーム延長部分。屋根が低いために利用できず、柱を高くして吊っている。 ほかでは あまり見たことがない。 |
遠い山手線 2010.4.13. |
常磐線から見た山手線方向。 山手線に較べて常磐線の本数は少ない。 電車が見えるだけに、乗り換える人は跨線橋を走る羽目になる。 (この古レールは 現在ほとんど造り替えられた) |
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