山手線が渡る橋・くぐる橋 | − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − |
番外 2. 構内跨線橋 |
日暮里駅は京成電鉄スカイライナーで成田空港に向かう人が、大きなスーツケースを持って乗り換えることも多い。 1987年(昭和62年)に国鉄が分割民営化されて、各駅でエレベータ・エスカレータの設置などの改良が進んだが、いの一番にエスカレータを設置すべき日暮里駅なのに、なんと20年も待たされた! 「スカイライナーは乗り換えが不便なので、成田エクスプレスを使いなさい」と言わんばかりのサービスの悪さだ。 この件に関しては 本当に不満であった。 |
常磐線3・4番 9・10 11・12 | ↑鶯谷 |
跨線橋 D |
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跨線橋 C 紅葉坂橋 跨線橋 B コンコースA |
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下御隠殿坂橋 | |
↓西日暮里 |
ここでは A 以外の3つの跨線橋を取り上げる。 一番新しい北側のコンコースの様子は、番外. 1 プラットフォーム をご覧下さい。 A 〜 D の どの跨線橋も、山手線・京浜東北線と常磐線は連絡している。 日暮里駅の跨線橋が難しいのは、A 〜 D それぞれ、「出口」 と 「京成電鉄への連絡の有無」 が違うこと、エスカレータ ・エレベータの設置がが限られていることである。 A の コンコースに出れば 間違いはない。 |
跨線橋 | 出口 | 接 続 | 階段以外の設備 | |
A : |
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常磐、京成、山手・京浜の すべて | エレベータ・エスカレータ | |
B : | な し | 常磐、京成、山手・京浜の すべて | な し | |
C : |
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常磐、山手・京浜のみ 一度出口を出て、橋経由で京成に行ける |
エスカレータ | |
D : | な し | 常磐、山手・京浜のみ | な し | |
北側から見た 跨線橋の屋根 (山手線の内側から) |
手前から 跨線橋 B、紅葉坂橋、跨線橋 C、跨線橋 D。 |
跨線橋 B |
跨線橋 B ができたのは 推定では1956年(昭和31年) ホームの増設時である。 |
全 景 (西日暮里方向を見る) | |
紅葉坂橋から。 跨線橋 B にはそれぞれ両側に階段がある。 |
北側の階段 | 南側の階段 | ||
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山手線の内側から |
階段の屋根の内部 |
秋葉原駅に 同じデザインの増設階段 1957年(昭和32年)がある。 |
常磐線側から山手線方向を見る |
朝の通勤時は 人で埋まるのだろう。 |
新幹線 上部 |
新幹線の上だけは投石防止のクリンプネットがある。 跨線橋 B の真下で コンクリートのボックス内にはいっていく。 |
跨線橋 C |
跨線橋 C ができたのは、1974年から79年(昭和54年)のあいだで、完成当初は南口はなかった。 南口ができたのは、1985年から89年(昭和64年)のあいだである。 |
全 景 (鶯谷方向を見る) |
中央には南口があり、トンガリ屋根がついているが、由来は未確認。 すぐ手前にあるのが「紅葉坂橋」 |
全 景 (西日暮里方向を見る) |
跨線橋 D から 新幹線部分が、工事途中のような状態で放置されているのも みっともない。 跨線橋 C には、階段とエスカレータがある。 |
北側の階段 | 南側のエスカレータ |
南 口 |
跨線橋 C から、直接京成電鉄には行けない。 乗り換え精算をするためには窓口や係員が必要なため、ただ跨線橋で繋げば済むというわけにはいかないからである。 今は一度南口改札を出て、紅葉橋経由で京成通路に行けるようになった。 階段が数段あるので、重いスーツケースがあると苦労する。 南口は 昼間はすいているので、待ち合わせにはいいかもしれない。 |
跨線橋 D |
近 景 (9番線から) |
この錆付いた鉄板や柵を なんとかして欲しい。 日暮里駅の担当者は、あくまで美観には無頓着のようだ。 この柵に何の意味があるのだろう。 実はここには穴が空いていて、立ち入ると新幹線の軌道に落ちてしまうのか? 見るたびに不快感が起こる。 |
遠 景 (芋坂橋から) |
跨線橋 D の階段は、常磐線では両方向にあるが、山手線ではホームの端なので ひとつだけである。 |
京成の乗り換えはできません | |
階段の上り口に「新南階段」という名前が掲示してある。 これは、以前は紅葉坂橋と現在の跨線橋 Dとの中間あたりに、先代の「南階段」があったものが、、跨線橋 C の開設で廃止され、その後に南口ができた頃にこの跨線橋 D が作られた、という経緯があるためだ。 建設年は、1985年から89年(昭和64年)の間。 |
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