山手線が渡る橋・くぐる橋 | − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − |
御徒町 → 秋葉原 |
4. - 1 第 1御徒町 高架橋 A 部分 |
および 「4.- 2 第1御徒町ガード」(後半) |
第1御徒町高架橋 A部分は何の変哲もないRC柱・梁の高架橋で、駅から離れているせいもあって店もなく、ほとんどが倉庫・駐車場として使われていた。 2010年7月の新聞に、「アルチザンの街・高架下に工房・店舗」という見出しで記事が載った。開発は、JRの子会社である JR東日本都市開発で、年末までに工芸デザイナーらの工房や店舗が入居する、商業施設を開設するという事である。 その場所が第1御徒町高架橋で、2010年(平成22年)12月に「2k540」としてオープンした。 工事前の様子を掲載する。 |
位 置 (終戦後の様子) | |||
1948年(昭和23年)の空中写真/国土地理院 | |||
(C) B A | (C) B A | ||
春日通り 御徒町駅 蔵前橋通り |
高架橋の A・B・Cは仮称である。 御徒町駅では最初のホームが6両編成対応の長さのままであり、2本目のホームは、まだ作られていない。 上野の「忍川橋架道橋」から施工されていなかった、「C部分」(山手線の外側)が作られており、秋葉原貨物駅に向かって線路数が増えていく。 |
A 部分 建造時期:1924年(大正13年)頃 |
山手線の内側 (秋葉原方向を見る) |
↑ 長者橋架道橋 途中のガードまでの高架下は 2階建てである。 |
事務所としても (御徒町方向を見る) |
↑ 長者橋架道橋 高架橋のそのものを建物として使っている。 |
再開発中の南側の部分 (御徒町方向を見る) | |||
|
|
三径間 連続スラブ橋 |
『東京市街高架線 東京上野間建設概要/鉄道省』(1925年) |
3スパン、柱4本ごとに構造体を切り離し、4スパン目には厚さ70cm程度のスラブを架け渡している。 柱の中間をつなぐ小梁は ひとつおき。 (左側は 立面図) |
A部分 改修前の様子 (2010年7月) |
コンクリート壁 | 小さなシャッター |
前出の写真と同じ場所で、上部に換気のための開口を残して、コンクリートの壁が作られていた。 当然鉄筋が入っていたはずだが 柱に定着した気配はなく、巻き付けた鋼製ベルトにだけ鉄筋を溶接していたようだ。 シャッターが倉庫の出入り口なのはわかるが、その両脇にあった小さな扉が、どんな用途に使われていたのかが 不明。 昔のビルにあった、ダストシュートのようなサイズである。 |
くぐり戸付きの 大きなシャッター |
くぐり戸 不明の小扉 |
小 扉 |
鉄製の扉は 錆び付いて開けられない。 人がくぐれるほどのサイズであった。 |
付近は 新しい商業施設として整備され、様子は一変している。 詳細は 左メニューより、 「生まれ変わった 2k540」 をご覧下さい。 |
■ 第1御徒町 高架橋 | |||
位 置: | 台東区上野五丁目 | ||
管理番号: | − | ||
線路の数: | (下記 ABC は仮の呼び名) | ||
竣工時 | A: 3本: 京浜東北線北行き、山手線 2本 B、C: 北側 2本 → 南側 7本 京浜東北線南行き、 常磐線引き上げ線 貨物線 | ||
現在 | A: 北側 3本: 京浜東北線、山手線 2本 南側 4本:京浜東北線、山手線 B、C: 北側 4本 → 南側 6本 東北縦貫線2本 工事中、 常磐線留め置き線 4本 |
||
橋 長: | 約 220 m | ||
橋脚の数: | 40本、 スパン:5.5 m(6ヤード) | ||
竣工年: | A: 1924年(大正13年)頃 B: 1928年(昭和3年)頃 ? C: B と同じ時期か? | ||
備 考: | |||
名前の由来: | 建設当時の地名による | ||
地名の由来: | 駅名の由来 参照 | ||
トピックス 謎のサークル |
第1御徒町高架橋 A部分の最南端部の天井に「円」が描かれている。 いつ、何のために書かれたのか、まったく不明、謎である・・・・。 |
右手前は すぐに 練塀橋 2010.7.22 |
早くから白いパネルで囲われた5区画の内、3ヵ所に、種類の違う円がある。 横からは見えにくい。 向かいのビルに住んでいる男性にも話しを聞いたが、こんなものが書かれていることすら 気づいていなかった。 一番右は焼肉店だったとか・・。 その部分には描かれていない。 |
御徒町駅 側 | 4区画目 |
3区画目 | 練塀橋 側 |
サークル なし | 白いところが吹きつけか何かの塗装で、ねずみ色の部分は塗られていない。 特にこの区画は梁型まで続いている。 |
天井手前部分には網が取り付けられているために、色が変わって見えている。 改装された現在はすべて塗り直されて見えなくなり、謎の究明はできなくなった。 |
番外. 第 1御徒町 ガード |
緊急時連絡用の電話番号が書かれた名称ラベルには、 管理番号として「東北線(20)」、 名称は「第1御徒町ガード」 が表示されているが、あくまで「高架橋」の一部であって「架道橋」ではないので 番外とする。 |
不思議なのはその番号の付け方である。 運用・安全上は問題ない事なので、揚げ足取りをすることはないのだが・・・。 また、先の 第2御徒町陸橋ガードにはあった「陸橋」がない。 管理番号の不合理については、最後に詳しく説明する。 |
A 部分 建造時期:1924年(大正13年)頃 |
山手線の内側 |
山手線の外側から内側(手前)に向けて、「一方通行」である。 直交する道 自体が一方通行なので、進入禁止の標識はない。 路面に矢印がある。 ここは「第2」とは違って、2スパンだけを使っている。 |
A 部 の柱 |
手前側、柱は3本であるが 最初に建造されたのは 3線分である。 |
B 部分 建造時期:1929〜31年(昭和4〜6年)頃? |
C部の柱↑ B部の柱も3本で2線 A 部分は3本で3線 |
B部とC部は同じ作り・古さなので、同時期(昭和初め)に作られたのではないだろうか? トップにあげた「位置」の空中写真で、少なくとも戦前にはできていたことがわかる。 |
C部分 B部分 |
C 部分 建造時期 : 1929〜31年(昭和4〜6年)頃 未確認 |
山手線の外側から |
C部分は、東北縦貫線の改良工事中。 |
トピックス 管理番号について (東北線編) |
田端 - 東京間は 東北本線と位置づけられている。 秋葉原駅あたりで、上野保線区と新橋保線区の境界があるのか、池袋付近と同じように 飛び番がある。 そして、その番号の振り方に疑問がある。 |
架道橋名 | 番号 | 備考 | 提案 | |
魔利支天橋 架道橋 | 35 | |||
切通橋 架道橋 | 34 | |||
同朋橋 架道橋 | 33 | |||
第2御徒町陸橋ガード | 32 | 高架橋の一部 | 21 | |
長者橋 架道橋 | 21 | 32 | ||
第1御徒町ガード | 20 | 高架橋の一部 | ||
練塀橋 架道橋 | 31 | |||
秋葉原電停 架道橋 | 30 | 練塀橋と同じ位置 | ||
秋葉原北 架道橋 | なし | 新設したばかりのためか? | 18または29 | |
明神坂 架道橋 | 17 | |||
佐久間 架道橋 | 16 |
秋葉原電停架道橋の竣工は 1990年(平成2年)なので、一連の管理番号が振られたのが、平成の初頭だということがわかる。 その時には、ねずみ色にしたふたつの「高架橋ガード」も存在していたのであるから、いっそのこと連番にすればいいものを、第1御徒町ガード と「長者橋架道橋」に飛び番を振ってしまった。 ふたつの「ガード」は架道橋ではなく、あくまで高架橋の一部である。 そのことを区別したくて飛び番を付けるのであれば、「提案」欄のように、第2御徒町陸橋ガードを 21番、長者橋架道橋を 32番とするべきだろう。 |
Top Menu へ 山手線が渡る橋・くぐる橋 第1御徒町高架橋 C部へ |